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2025/04/20

「Hong Kong LEI – Cover Story」は、香港で輝いている人をご紹介するシリーズ企画です。当記事は、健康と食の安全をお届けする Tasting Table Japan Premium より当企画への賛同と協賛をいただき制作しています。


香港で育み続ける、父から継いだ日本文化

Web:https://toyosecurity.com.hk/ja/

聞き手:小林杏
編集:野津山美久


〈目次〉

〈餅つきでかける、香港と日本をつなぐ橋〉
〈日本から来た父、香港で受け継ぐ自分〉
〈二つの文化の間で成長し、生きていくこと〉
〈岩見さんに3つの質問〉


〈餅つきでかける、香港と日本をつなぐ橋〉

「餅つきをする陽気なおじさん」。香港で、岩見さんのことをそんな風に認識している人も少なからずいるのではないだろうか? 年明けのある土曜日、日本を代表するアニメ『ドラえもん』のTシャツに、香港人らしい真っ赤なジャージを穿いて登場した岩見さんは、日本語を勉強する子ども達の前で「ヨイショー!」と元気いっぱいに餅つきを披露してくれた。

今年1月、香港日本人補習校で子ども達に餅つきを披露する岩見さん。

「父の手伝いとして16歳の頃からやっているから、もう30年続けていることになりますね。最初の頃は、1月から3月まで死に物狂いでやっていたので、全てを覚えました」と餅つきについて語る岩見さん。日系企業・機関の新年会に限らず、日本関連行事やショッピングモールのオープニング主催者等からも餅つきの依頼はあるという。

岩見さんは、実は銅鑼湾にオフィスを構える「東洋警備」の取締役であり、一児の父でもある。仕事も家庭も忙しいはずの彼が、たとえ週末を返上しても餅つき活動を続けるのには訳がある。それは会社の事業にとどまらず、「色々な分野で、香港と日本の繋がりを強くしたい」と願うからだ。

『香港柔道館』での誕生日会。左から、香港人の母、エミーさん、日本人の父、武夫さん、岩見さん。

岩見さんは「昨今の、香港と日本のどちらかが、どちらかのことを悪く言うようなニュースを聞くと、苦しくなるんですよね」と言う。日本人の父と香港人の母を持ち、香港で生まれ育った岩見さんは、両地域の間で誤解があると、もどかしいと感じる。だから「香港人も日本人も、良い人間同士なんだ」と分かり合うための一助になりたい、と文化活動を続ける。威勢の良い餅つきパフォーマンスを前に、どちらの人間も、一緒に喜んで笑顔を見せくれる時が嬉しい、と岩見さんは言う。

〈日本から来た父、香港で受け継ぐ自分〉

香港で「餅つきの人」と認識される岩見さんを語るのに、父である武夫さんの存在は欠かせない。武夫さんは1960年代に、世界各地の青少年らが共に船旅をしながら文化交流を深める「世界青年の船」で、一時来港した。その時「ここならいい商売ができる。ビッグになってやる」と香港ドリームを抱いたという。その後、実際に香港に渡り、夢である会社設立の道を模索しながら、まず1966年に「香港柔道館」を開設。当時は『柔道一代』という日本映画が香港で流行っていて、その波に乗ったのだとか。「月謝の代わりに鶏を持ってくる弟子もいた」というくらい、のどかな時代だったそうだ。そして道場と掛け持ちしながらの会社員生活を経た後、1984年に東洋警備を立ち上げた。日系企業を主な顧客とした、警備、清掃、施設保全を提供する会社で、息子である岩見さんが取締役を務める現在も200社近くと取引がある。その岩見さんのオフィスには、50年の長きにわたり香港で生きてきた父の、歴史を感じさせる写真が多く飾ってあるのが印象的だ。

道着姿の武夫さんと、幼い頃の岩見さん。長い年月の経過を感じさせる色褪せた写真だが、大切に飾られている。

岩見さんは、もちろん会社だけでなく、日本の文化も父から受け継いだ。

父親の道場で柔道の稽古をし、黒帯三段を取得。「相手を投げたくらいで驕らない。またどんなに投げられても必ず起き上がる」という柔道家としての精神を鍛えられた。餅つきも、元々は道場の新年会で始めたものだ。コロナ禍に道場は閉鎖してしまったが、岩見さんは現在、香港柔道館の精神を引き継いだ「講友館」で名誉館長を務めている。

香港柔道館では、子ども達に柔道の指導をしていた。

伝統的な考え方の家庭で「会社を継ぐのは当たり前」だと思っていた岩見さんだが、「若い頃は親父にすごく反発しましたね。パソコンやゲームが好きな若者であった自分に対して、顔をしかめることも多かったですし」と言う。

プログラミングの道も考えたが、父の意向もあり、大学では商学部へ進んだ。でも趣味として探求し続けてきた情報技術は「今や、ロボット、AI等が警備に関わってくる時代になりました」と岩見さん。「例えば、AIが過去のデータから犯罪予測を立て、警備員が防止策を取る、などですね。新しい技術に目をつけて、自分で良し悪しを確認する。昔から好きだった分野なので、仕事に生きがいが増してきました」と笑顔を見せる。父が作りあげた土台を大切にしながらも、今、その上に彼は時代に見合った形を積み上げているのだ。

〈二つの文化の間で成長し、生きていくこと〉

日本語を話せば身振りまで日本人だし、広東語を話せば声の大きさまで香港人の岩見さん。二つの文化に精通し、仕事では「空気を読む力が優れている日本人」と「効率重視、いきなり案件の話を始められる香港人」の間を結ぶ。

早稲田大学の大学院へ留学していた頃。寮の友人達と運動会で。一番左下が岩見さん。

そういう岩見さんを羨ましいと感じるが、ご本人は多文化を背景に持つ人間としての悩みも経験してきたという。「昔は、 “僕は日本人として完璧じゃない。語彙だって同じ年の日本人の子に比べたら劣るし……” と自信のない部分ばかり見てしまっていた」のだそうだ。自身のように多様な文化背景をもつ子どもたちへ伝えたいことは、と問うと「様々な文化に触れているのだから、最初は、知識が広く浅いのはしょうがないこと。時間と共に深くなっていきます。色々知っているから、比較ができて、自分で善悪やモノの価値の判断ができるようになります」と言い、こう付け加えた。

「自分探しという言葉があるけれど、探しても自分は見つかりません。それぞれの文化の好きなところを選んで、それで自分を作りあげるんです」

岩見さん自身も40歳になるまで色々と悩んだそうだが、今こうして自分を確立し、名実ともに香港と日本をつなぐ人となったのだと言えよう。

最後に、岩見さんが「餅つき」を続ける、もう一つの理由をご紹介したい。それは父が大切にしてきた文化活動をすることで、今は亡き彼を近くに感じたいと言う思いだ。

「以前は、親父の考えていることは古くて全然理解できないと反発もしました。でも、今ようやく少しずつ理解できてきて、それが自分の原動力になっているんです」

「本人に伝えることはもうできないですけどね」。そう言う岩見さんを、オフィスに飾ってある写真の中の父、武夫さんが優しく見守っているようだった。


〈岩見さんに3つの質問〉

Q1 一番好きな、尊敬しているスポーツ選手を教えてください。

野球の大谷選手ですね! 真面目だし、紳士的だし。粗野なところがないのに、超一流の選手! っていうのがいいですね〜。親父も大好きでした。親父と同郷、岩手の出身ですしね。

 

Q2 子どもの頃、日本に行くときに楽しみにしていたことはなんですか?

街のおもちゃ屋。当時はミニ四駆とか面白いものがいっぱいありましたからね。あとゲームセンター、ディズニーランド、そしてデニーズ! 香港にはファミレスがなくて、「デニーズ、おいしいな」って思っていました。ディズニーは独身の頃、一人でも行くくらい好きでした。今も好き。

 

Q3 日本人が多分知らない、香港キッズに人気のお菓子を教えてください。

山楂(サンザシ)のお菓子ですね。小さい頃からずっと好きでよく食べていました。

岩見さんのオフィスにある山楂のお菓子

 

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