2022/05/15
挑戦しないと始まらない
2020年9月に日本から香港へ移り、俳優・モデル活動をしている芳賀勇一さん。失礼を承知で聞いてしまった。「なぜ、このコロナ禍に香港へ来たのですか?」
「そう思いますよね」とゆっくりと手を組み合わせながら話し始めた芳賀さん。
「タイにいたときに、新型コロナが流行して撮影がなくなり、やむなく帰国したんです。しかし、芸能の業界が大変なのは日本も同じ。オーディションや撮影もなくて、悶々とした1年を過ごしてしまいました。そんなときに、前から行きたいと思っていた香港で日本人モデルが減っていると聞き、今がチャンスだと思ったんです。周りや家族には心配されましたが、自分がやると決めたことは、実行しないと気が済まないんです」と笑う。
日本同様、香港の芸能界もコロナで厳しくなってはいたが、ある大手事務所が、「仕事の確約はできないが、それでも良ければ」と芳賀さんを受け入れてくれた。
「オーディションがバッターボックスだとすると、日本ではバッターボックスに入るチャンスが少ない。スウィングに自信があっても、そこ(少ない打席)でホームランを打つのは難しいし、腕も落ちる。だったら、リスクを冒してでもバッターボックスに多く入れる方を選びました。怖かったですが、挑戦しないと始まらないから」
チャンスは、香港に来てすぐに訪れた。なんとホテルでの強制隔離中にオーディションの話が来たのだ。部屋でセルフで撮影したビデオをマネージャーに送った。隔離中のサポートや、迅速な対応に安堵すると共に、この事務所は信頼できると確信した。香港へ来て半年だが、すでに香港ディズニーランドやHSBC(香港上海銀行)、日本の下着メーカーなど大手の企業の広告に起用され、着実に露出を増やしている。
「香港の撮影現場は、ちゃんとスケジューリングがされていて無駄がない。フィリピンやタイに比べると、時間通りに人が集まりますね(笑)。撮影は8時間契約など、時間単位での契約なのが香港独特ですが、それ以外は日本と同じ感覚で仕事ができています」
挫折があるから今がある
16歳からモデル活動をしていた芳賀さんは、23歳のときに、ハリウッドの映画界で活躍する夢を抱いてアメリカへ渡った。アルバイトで貯めた30万円を、母親がズボン裏に縫い付けてくれた袋に入れて、バックパック1つでの渡航。大学を卒業して就職する同級生を尻目に、「ぼくはハリウッドで演技の勉強だ」と、当分日本へ帰らないつもりで旅立った。
「でも、現実は甘くなかった。いろいろなことがあって心が折れて、1カ月で帰ってきてしまったんです。そんなに早く帰国したことが恥ずかしくて、人にも会えず外にも行けなかった。父親は『他人は人の噂なんて3日で忘れる。気にするな』と言ってくれたけれど、あの時はすっかり落ち込んで、鬱の状態でしたね」芸能の道を諦めて就職しようと決めた芳賀さんは、ハローワークを訪れた。
皮肉にも、そこで記入した適性検査の結果は「メディア関係」。でも、もう何でもよかった。仕事があれば……。ブースで椅子に座り、担当する年配の男性にこれまでの経緯を説明した。話をひと通り聞いた男性は、提出された書類をそのまま芳賀さんに返してこう言い放った。
「帰れ帰れ。ここはおまえの来るところじゃない。ほら、周りの人を見てごらん。おまえの目は死んでない。まだだよ。やり直せる」
あふれる涙をこらえきれなかった。まだ翼は折れていないと言ってくれる人がいるならと、「もう1回だけ、芸能の世界に挑戦することにした」と父親に伝えた。これで結果が出なければ仕方がない、きっぱり諦めようと覚悟して臨んだオーディション。そこで芳賀さんは見事テレビ番組のリポーターに選ばれた。その後も、オーディションで役を得て、復活。
「今思えば、それまでのぼくはアマチュアだった。あの挫折があったからこそ、プロとしてやっていこうと腹をくくれたんです。仕事で悩むことはたくさんありますが、今はすぐに立ち直る。最終的には『好きなことを仕事にして悩めるなんて、おまえ幸せだぞ』って思えるから。スーパーポジティブですよ」と芳賀さんは笑う。
おじいちゃんになっても、この仕事を続けたい
モデルになって20年以上が経つ。アルバイトをしながらのモデル生活。俳優への転身。8年間務めたテレビリポーター。数々のCMや広告出演。タイで海外モデルに初挑戦し、フィリピンでは給料の一部を着服されるなど、苦い体験もした。その全てが今の自分の礎になっていると言う。芳賀さんのYouTubeチャンネルでは、海外で挑戦するモデルのリアルな日々を発信している。
「モデルといってもキレイな世界だけでなくて、普通に生活しているよというのも伝えたいし、海外で役者やモデルを目指す人の参考になるといいなと思ってやっています」
広東語が話せないので、香港では俳優よりモデルの仕事がメイン。30代で役者に転身し演技を学んだことで、モデルとしても感情の表現ができるようになったという。
「自分は白いキャンパスになって、求められる色をつけていく。広告でも、商品に合わせた役作りもします。下着メーカーの広告撮影のために体を鍛えることもあれば、ウイスキーなら渋い雰囲気、チューハイならファミリーっぽくとかね。こういう感じはどうですか、こういった表現もありますよ、と見せていきます」
カメラマンや監督などと一緒に、自分もプロフェッショナルとして演技し、作品を作り上げる。その熱量がたまらない。だから「アジア圏で実績を重ねた後に、日本でも活躍する俳優のディーン・フジオカさんのように自分も売れたい、という気持ちもあります。ですが、それよりも新しいことに挑戦して、たくさんの現場で撮影し、良い作品を残したい。歳を重ねても、ずっと続けていきたい」というのが本音。それが、自分が「生きている」と一番実感する時間だから。
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*Hong Kong LEI vol.49 掲載
Hong Kong LEI (ホンコン・レイ) は、香港の生活をもっと楽しくする女性や家族向けライフスタイルマガジンです。
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