2024/01/20

「Hong Kong LEI – Cover Story」は、香港で輝いている人をご紹介するシリーズ企画です。当記事は、健康と食の安全をお届けする Tasting Table Japan Premium より当企画への賛同と協賛をいただき制作しています。



香港で、『まことの花』に向かって


目次

 <16歳。独り、憧れの地ロシアへ>

<遠い異国の地でプロとして舞台に立つ>

<世阿弥から学んだ『まことの花』>

<陽年さんに質問:魔法のランプで3つの願いが叶うとしたら?> 


<16歳。独り、憧れの地ロシアへ>

クリスマスの風物詩『くるみ割り人形』。香港バレエ団に移籍して3シーズン目を迎える高野陽年さんが、雪の舞う竹林の舞台に躍り出る。彼の力強いジャンプが、見ている者の心をもふわりと宙に浮かせる。


『くるみ割り人形』 で「雪の王」を踊る陽年さん。(写真提供:Hong Kong Ballet)

千葉県市川市。7歳の時に熊川哲也氏の映像を目にした陽年さんは「すげー!なんだこの跳躍力は!格好いい!!」と男性バレエのダイナミックさに魅せられた。ピンクのチュチュというイメージが先行しがちなバレエだが、熊川氏のおかげで「男性バレエのイメージがついた」と言う。

「バレエを習いたい!」と言うと、母は「ぜひ!」と後押しをし、父は「やるならちゃんとやれ」と応援してくれた。

教室に通い始めると、「男子の数は圧倒的に少ないから先生にチヤホヤされました。それに男の子同士は仲間意識が芽生えた」と、楽しかった思い出を語る。

『体の隅々まで配慮の行き渡った、優雅で力強い動きが特徴』と評されるロシア系メソッドのバレエ教室でレッスンを続けた。そして高校生の時、コンクールに出場し、ロシアの名門ワガノワバレエアカデミーへの短期留学奨学金を獲得。16歳、単身で夢のロシアに赴いた。

本場でのレッスンを受け「ここでやっていける!」と思った。自分の実力は、ワガノワに在籍する生徒達と対等に渡り合えるものだと知り自信がついた。その頃からプロになることを意識し始めた。

 


ワガノワバレエアカデミー在籍時代の陽年さん(右)。恩師、ボリス・ブレフワーゼ氏(中央)と。

<遠い異国の地でプロとして舞台に立つ>

ロシアに到着後は、様々なカルチャーショックに見舞われる。でも落ち込むどころか「すごく面白いぞ!ずっとここにいたい!」とロシアへの憧れは思慕へと変わっていく。日本の高校を卒業後、今度は長期留学生活が始まった。

多くの世界的バレエダンサーを輩出する名門校のレッスン。その厳しさは、常にポジティブな面に目をむける陽年さんでも「毎回ストレスで胃が痛くなった」と言う。

「でも先生が僕を評価してくれていることも、自分が恵まれた環境にあることもわかっていた。簡単には帰れない」。そう自分を奮い立たせながら2年間、「いいダンサーになる」と言う目標に向かって邁進、ワガノワを首席で卒業した。

就職に際し『ロシアで自分は外国人である』という壁にもぶつかった。

「外国人就労ビザの取得が非常に難しいロシア。加えて、多くの保守的な劇場においてアジア人という外見は不利だった」。
しかしこの時、名門ミハイロフスキー劇場にスペイン人でモダンバレエ出身のナチョ・ドゥアト氏が新しく就任。首席で卒業した陽年さんは引き抜かれ、劇場初の外国人ダンサーとなった。

「劇場に住んでいるみたいな感じ」と、年間200回ほどの公演をこなしていた当時を振り返る陽年さん。
世界に名を轟かせる劇場で踊ると言うのはこの上ない名誉だった。「でも、その分ロシアのトップダンサーが多く、ベテランがずっといい役を踊り、公演数の多さから配役変えもあまりなかった」。22歳頃から「もっといい役を踊りたい」という思いが強くなっていった。

再就職を視野にいれ、ロシアで開催されたコンクールに出場すると、審査員を務めていたジョージア国立バレエ団の芸術監督、ニーナ・アナニアシヴィリ氏の目に留まり「すぐに主役級の役をあげる。うちで踊らない?」と声をかけられた。「正直、バレエの中心地サンクトペテルブルクから離れてしまうことについての葛藤はありました。でも劇場名よりも、実際に舞台で役を踊ることが大切だと思って」。
この翌月、陽年さんは東欧の小さな国、ジョージアに飛び立った。


ジョージア国立バレエ東京公演にて。同バレエ団の芸術監督であり、現役のバレエダンサーでもあるニーナ・アナニアシヴィリ氏と「薔薇の精」を披露。

<世阿弥から学んだ『まことの花』>

プリンシパルダンサーとしてジョージアで活躍。「主役級の役を踊ることは、自分の実験や冒険する機会が広がること。表現の幅を広げるチャンスがそこに生まれてくる」と語る。「ダンサーとしての幅を広げる」。これはインタビュー中に陽年さんが何度も口にした言葉だ。

ジョージアでの6年は、コロナ禍により突然絶たれた。劇場が閉まり、舞台に立てなくなった。
だが一時帰国していた日本で、能を習い、その舞台も経験し、世阿弥の『風姿花伝』を読むという時間を持つことができた。そして日本文化にある『幽玄』という概念は、自分の踊りの表現の中に取り込めると感じた。
また「バレエダンサーの肉体的ピークは21歳くらいですが、世阿弥の書に、若さゆえ咲くのは『一時の花』であり、目指すべきものは円熟した時に開く『まことの花』と気付かされました」と言う。

2021年に知り合いを通じ、当時コロナ禍でも公演を行っていた香港バレエ団へ移籍。
革新的と評されるセプティム・ウェバー氏率いる香港バレエは「ロシア式伝統バレエの世界」とは別のスタイルを持ち、コンテポラリーや香港独自の文化を織り込んだオリジナルの演目も多い。プロとして10年のキャリアを積んでいた陽年さんも、最初は全く経験したことのない演目や役柄に「どうしたらいいんだ」と戸惑った。一方、それはダンサーとしての幅を広げてくれた。今は「僕の一番の武器は、誰よりも厳格な基礎を持ち、型を知り尽くしていること。だからこそ型を外すこともできる」と自信を見せる。


『華麗なるギャツビー』 でジョージを演じる陽年さん。1920年代のジャズ・エイジ、廃れた街に暮らす自動車修理工を表現した。(写真提供:Hong Kong Ballet)

ロシアで身につけた高い技術。ジョージアで培った豊かな表現力。加えて自身のルーツである日本文化への造詣。これらを携え、今、香港バレエ団の舞台に颯爽と立つ。

2024年。陽年さんは今年もダンサーとして『まことの花』を美しく開花させていくことだろう。


浴衣でトラムパーティへ。「香港は文化的イベントも多く全く飽きない。刺激的でエネルギーを感じます。一方で自然も豊かで、息抜きに最適。恩恵を受けています」

<陽年さんに質問:魔法のランプで3つの願いが叶うとしたら?>

うーん、誰かに何かを叶えて欲しいという欲はないんです。幸せなキャリアと人生を送ってきたと思っています。でも強いて言うならば…

1.1日27時間くらいになれば、もっといろんなことにチャレンジできるのかな。

2.芸術は平和の中で、もしくは平和のためにというエネルギーの中で生み出されるものなので、紛争がどうか終わって欲しいです。元同僚が戦争に駆り出されたり、元々同僚同士だった者たちが分断されている現状を見ると本当に心が痛みます。

3.香港バレエにたくさんの人が観に来てくれること

 

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2 件の意見

  • 編集部 より:

    コメントありがとうございます!
    陽年さんの踊りは本当に素敵ですよね!香港バレエ団にいらっしゃるので香港在住の私たちは陽年さんの舞台を見る機会に多く恵まれて本当にラッキーだと思っています!
    この先の香港バレエ団の舞台などもLEIにてお知らせしていきたいと思いますのでこれからもどうぞよろしくお願いいたします。(編集部より)

  • 匿名 より:

    陽年さんの演じたジョージを観ました。
    熱い想いが伝わってきてとても感動しました!素晴らしい踊りでした。
    香港バレエ団に来てくださりありがとうございます。これからも楽しみにしています!

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