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2025/08/20

Web : https://exotic-aqua.com

聞き手:小林杏
編集:野津山美久


〈目次〉

〈クラゲへの道のり〉
〈サラリーマンには向いていない自分〉
〈好きなことじゃないと、勝てない〉
〈吉田さんに3つの質問〉


〈クラゲへの道のり〉

黄竹坑に位置する工業ビル内の一角にある、株式会社「Wiyl(ウィール)」。一歩、中に足を踏み入れると、大小100個ほどある水槽の中の何千というクラゲたちが出迎えてくれる。真っ白いクラゲ、ほのかな青色を放つクラゲ……様々なクラゲたちがふわりふわりと泳ぐ様子は幻想的だ。Hong Kong LEIスタッフが思わず感嘆の声を上げると、社長である吉田さんは「いいでしょ?」と満足げな笑顔を覗かせる。

①ビゼンクラゲ、⁠②⁠⁠カラージェリー、③⁠⁠ミズクラゲ、④⁠⁠タコクラゲ。浮遊生物のクラゲには遊泳能力がほとんどないため、水槽内に水流を作ってクラゲが沈まないようにしている。

Wiylの主な事業内容は、クラゲの繁殖、生態販売、そして水槽設計および製造だ。香港の有名なテーマパークであるオーシャンパークの 「Sea Jelly Spectacular (シージェリースペクタキュラー)」にいるクラゲたちも、吉田さんが卸している。でも一体、どういう経緯でクラゲの会社を起こすに至ったのだろう?

幼少の頃から川や海の世界に興味があったという吉田さんは、創価大学工学部生物工学科に進み、プランクトンの研究に取り組んだ。

「プランクトンって生態系を支える一番底辺にいるので、ここを研究すると、海の生態系の全体像が見えてくるから大事だと思って」

海の生物への探究心は止まることなく、その後もプランクトンの一種であるオキアミの研究を続け、オーストラリアのタスマニア大学で博士号も修めた。

タスマニア大学での学位記授与式。右から3番目が吉田さん。お世話になった教授、指導教官、学科長や事務の人たちと。

人生初の海外生活で、言語の壁や、アジア人だと言うことで見下されていると感じることもあった。「きつかった」が、同時に、上下関係の厳しい日本社会にいる時に感じていた窮屈さから解放された。オーストラリアでは、教授も学生も皆、対等で研究を一緒にするパートナーという関係が、吉田さんには心地よかった。

卒業後、30歳で見つけたのが、マカオのホテル大手「Wynn Macau(ウィン・マカオ)」での仕事だ。ホテルのロビーに新設するクラゲの大型水槽の管理マネージャー職に就いた。

「研究職より飼育の仕事がしたくて。ここで、綺麗で雰囲気があるクラゲの繁殖および飼育方法を学びました」

これが、吉田さんが現在クラゲの道を進むきっかけとなったのだ。

Wynn Hotel のロビーにあるムーン・ジェリーフィッシュ・アクアリウム。吉田さんは、この水槽の立ち上げ、管理をしていた。
マカオ時代の吉田さん。美しいクラゲたちの水槽の舞台裏だ。

〈サラリーマンには向いていない自分〉

吉田さんにクラゲの魅力は何かと尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「まず一つに生命として完成されているなと思う見た目の美しさ。もう一つは、クラゲのポンポン、というリズムのある動き。人間も動物も心臓が動いているでしょう? その生命の拍動をビジュアルとして感じさせてくれて、僕たちはそれに共鳴する。だからクラゲを見ると癒されるんだ」

そんな魅力を持ったクラゲの飼育販売は、当時は新しく「これは事業になると思った」という吉田さん。マカオ就職から3年後、かつての同僚が香港でクラゲ及び水槽設計事業を始めた際に誘われ、2014年に来港、パートナーとして会社を持つことになる。

30代で自身の会社を持ったことについて、吉田さんはこう言う。

「僕は日本の生活には向いていないってオーストラリアに行ってわかった。マカオの仕事では、自分がサラリーマンに向いてないっていうのもわかった。僕は人の言うことを聞くよりも、自分の好きなやり方で、やりたい時に行動したい人間だから。だから、会社を起こすっていうのは、必然だったかな」

博士号取得のためナンキョクオキアミの研究をしていた頃の吉田さん。船上生活をしたり、南極に降り立ったりしたこともある。

ビジネスはすぐに順調にいったわけではない。設備や人材に大きな投資をした時期や、コロナの影響で取引先である多くの水族館が閉鎖した時期もあり、道は険しかった。自身の生活に余裕はなく、銀行口座の残高も心許ない日々が続いた。

でも、そんな中でも前を向く力をくれたことがある。一つはもちろんクラゲだ。「自分が手をかけて育てているクラゲがいっぱい増えて、元気に育っている時はハッピー。自分が一生懸命やった結果だからね」という。

もう一つは、香港にいたことだ。

「自分の周りや街にいる香港人たちを見ていたら、 “金がなくても、人生は楽しめる”ってパワーを感じたから、そんなに落ち込まないで続けてこられた」

ビジネスが軌道に乗り始めた2022年、パートナーとは目指すビジネスモデルの相違もあり、独立した。今は、4人の従業員を抱えた年商1億円の会社の社長だ。

ブラインシュリンプという小さなエビのような形をした餌を与えている吉田さん。クラゲ飼育には一日2回の餌やり、水温、塩分濃度、水質などの細かい管理が必要だ。

〈好きなことじゃないと、勝てない〉

何が成功に導いたと思うかと吉田さんに尋ねると、謙遜しつつ「諦めずに継続してきたからこそ、今がある。好きなことだったから止められなかったんだよね」と答えてくれた。そして「自分が好きなことやらないと、他の奴には絶対、勝てないよね」と付け加えた。どんな分野においても、情熱を持っている人間に他の人間は太刀打ちできないと、身をもって感じているのだろう。

クラゲばかりが注目されがちだが、実は、飼育に不可欠な水槽システムの設計にも、吉田さんは惜しみない情熱を注いでいる。最適な塩分濃度などに様々なデータを用いつつも、日々の飼育に携わっているからこそ作り出せるシステムは、唯一無二のものだと自信を持っている。

今後の目標の一つは、水槽システムに革新をもたらすこと。

「水槽って、陸上に海の環境を作り出すってことでしょう? 実はその為に、水槽の下から電源コードが10本以上繋がっていたりする。それを見ていると、すごく無理があるなと感じる」という彼は、学生時代に研究していたプランクトンをヒントにしつつ、その「無理」を解決する方法を模索している。

最後に吉田さんは、ビジネスをやっている上での喜びについてこう語ってくれた。

「美しいクラゲを見て喜んでもらえたら嬉しい。もっと言うと、落ち込んでいる人や明日への希望が見えない人が、世界のどこかで僕のクラゲを見て癒されて、 “もうちょっと頑張ってみようかな”ってなることが絶対にあると思うんだ。それを想像すると、自分の励みにもなる」

吉田さんが作り出す水槽システムの中で、元気に育ち、旅立っていくクラゲたち。そのクラゲを通して送られるエールは、今日も世界の誰かにきっと届いていることだろう。

 


〈吉田さんに3つの質問〉

Q1 ご自身が海の生物に生まれ変わるとしたら、何がいいですか?

マンボウがすごく好きですね。時速4キロで泳ぐ、とろくて、間抜けな、図体でかいやつ。何も考えなくても、のんびりと生きていけるんだな、って思えて魅力を感じる。クラゲもそうだね! ただクラゲは脳がないから、マンボウにします。

 

Q2 過去のマカオでの生活、現在の香港の生活はどうですか?

マカオ時代の生活は楽しかった! カジノだから給料も良かったし。その頃は同年代の日本人も多くて、狭いマカオでは飲みに行けば、必ず誰かいた(笑)。香港は、お金の面では苦労したけれど、文化的に苦労したことは一切ない。日本のものは何でもあるし、英語がネイティブでなくてもやっていけるし。

 

Q3 休日の過ごし方は?

土曜日も仕事をしているから、休日は日曜日しかないんだけど。最近は山登りとか、釣りとか、そういう趣味を持とうかな、って余裕ができてきました。

 

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