2026/01/06
By Conrad Dy-Liccao
2025年12月28日、5年間で通算100回目の香港版くるみ割り人形の公演を終えた。僕はサンクトペテルブルグのワガノワバレエ学校に留学して以来16年間毎年この季節はくるみ割り人形を踊ってきた。香港バレエの演出は僕にとって5つ目の“くるみ“となる。
香港バレエの“くるみ”はその中でも特徴的だ。まず設定から香港であるという超級の変更はさておき、特出すべきは子どもの演者の多さだ。ワガノワバレエ学校でさえ、出演者は主に15歳以上の上級生と数人の選抜された下級生のみだった。劇場に就職してからは子どもの役もプロのダンサーが踊り、子どもとステージに立った記憶がほとんどない。対照的に香港バレエでは一公演80人以上の子どもが出演しており、合計すると300人近い子どもが出演しているのだ。香港バレエに所属するプロのダンサーが約50人なのでそれよりも圧倒的に多い。
香港バレエの子役たち By Conrad Dy-Liccao
この“くるみ”の子どもをめぐる演出方法の違いにはいくつかの文化的、経済的背景が見え隠れする。第一に香港バレエがアメリカ人芸術監督のウェバーの元、北米の”くるみ“文化を踏襲している前提がある。北米にはクリスマスになると、バレエ好きかどうかは問わず、どの家庭も”くるみ”を観に行く文化がある。メジャーカンパニーがある大都市だけではなく、地方の小さな街でさえだ。そしてどのカンパニーも大勢の子どもたちを使って、子どもが楽しめるように作られたファミリー向け作品を持つのだ。子どもにとって同世代が出演している作品は親近感がわくからだろう。対照的にヨーロッパやロシアでの作品の性質は少し異なる。家族で楽しめる作品に変わりないのだが、子どもに合わせた創作はしていない。例えばボリショイ劇場の作品は何よりも祈りが重要なテーマだ。ミハイロフスキー劇場時代のボスであるスペイン人のドゥアトは『子どもは我々が思っているほど子ども染みていなく、賢い存在だ。だからわたしの演出では子どもも大人のように扱い、大人の甘美な世界を隠さずに作品を構築している』と述べていたのが印象的だった。そもそもヨーロッパと北米における子どもの扱いが違うのではないだろうか。ヨーロッパにおいて子どもは社会の一部として組み込まれている。ディケンズの作品を読んでも子ども達は大人と一緒に社会に出て働いている。一方で北米ではピューリタンティズムの影響で子どもは親によって管理される存在になったのだ。そのため大人には大人のためのコンテンツ、子どもには子どものためのコンテンツが選ばれるようになったのではないか。
香港バレエの子役たち By Conrad Dy-Liccao
第二に子どもの演者を増やすことはチケット収益に貢献しスクール事業の拡大に影響するという経済的側面がある。多くのカンパニー(特に北米)にとって“くるみ”は年間を通して最大のチケット収益を見込めるコンテンツであり、子どもを使うことでバレエ団の財政状況を向上させようという戦略があるのだ。子ども達が出演すると彼らの家族や友人たちがチケットを求め、安定した顧客を得ることができる。例えば香港バレエの80人の親が毎回最低でも2枚のチケットを買ったとするとそれだけで毎公演160枚のチケット収入が見込まれる。それが今年は22回あったわけだから少なく見積もっても3000席は子ども達の関係者で埋まる。
ちなみに、ヨーロッパでは国が税金を投入し劇場を運営しているのに対し、そのほとんどがプライベートセクターである北米のカンパニーは寄付金やチケットセールス、そしてバレエスクールビジネスを収益の柱として、カンパニー全体を運営している。チケット収入はコンテンツや季節によってばらつきがあるが、サブスクリプション的なスクールビジネスは安定した一定の収入が予測でき、キャッシュフローを改善することができる事業なのだ。そして“くるみ”はスクールにとって最大の宣伝機会であり、価値提供だ。舞台を観に来ている子ども達に「わたしも彼らと同じように踊りたい」と思わせ、実際に舞台に立っているバレエスクールの生徒にはプロのダンサーと同じ舞台を作り上げているという唯一無二の没入経験を提供する。面白いことに香港版“くるみ”の誕生とほぼ同時期にバレエ団のスクールが発足しているのだ。香港バレエの“くるみ”に出演している子役はスクールの生徒を中心に残りはオーディションでキャスティングされる。練習は香港バレエのスクールで行われ、外部生徒の囲い込みにも役立っている。いずれかは完全に香港バレエスクールのエクスクルーシブな体験という事になっていくだろう。“くるみ“を体験したいなら今のうちに香港バレエのスクールに入っておくべきですよ!
世阿弥のいう「時分の花」を持つ子ども達は出ているだけでかわいらしい存在である。その中からいずれ香港バレエの“くるみ”子役出身の新国立劇場のファーストソリスト、池田理沙子のようなプロのダンサーも輩出されていくはずだ。
あとは大人のダンサーである我々の技量によって作品の面白さを担保しなくては。
これが一番難しい。。。

高野陽年
立教大学中退後、2011年にロシアの名門ワガノワバレエアカデミーを卒業し、世界的振付家ナチョ・ドゥアトの指名を受け、外国人初の正団員としてロシア国立ミハイロフスキー劇場に入団。主にドゥアト作品で活躍した後、2014年に世界的バレリーナのニーナ・アナニアシヴィリに引き抜かれ、グルジア国立トビリシ・オペラ・バレエ劇場に移籍。ヨーロッパ、北米、日本を含めさまざまな劇場で主役を務めた。2021年より香港バレエ団に活動の拠点を移し、2024年には香港ダンス連盟より最優秀男性ダンサー賞を授与され、プリンシパルダンサーに昇格。さらに活躍の場を広げている。そして学園生活をとりもどすべく?イギリス公立オープン大学でビジネスマネージメントを専攻中。
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