2019/12/27
一念発起、主婦から料理人へ
セントラル駅から、アバディーンストリートを上がったところにあるPMQ。ここにある和食器専門店「WAKA Artisans」は、和食器好きにはたまらないお店だ。落ち着いた雰囲気の店内には、織部焼の茶碗から現代的でシンプルなお皿まで、さまざまな器が飾られている。水屋箪笥の上に並ぶ器を手に取りながら、それを作った作家さんの人柄や器にまつわる話をスタッフから聞けるのが、また楽しい。不定期に行われる「金継ぎ」や「苔玉作り」などのワークショップは、西洋人や香港人にも人気で、なかなか予約が取れないことも多いという。
この店を5年前にオープンしたのが、コスチュウスコ貴子さん。イギリス人のステファンさんと結婚し、渡英したのが30年以上前。下のお嬢さんが中学生になるのを機に、本格的に料理を学ぼうと、貴子さんはロンドンにある料理学校の門をたたいた。
「朝9時から夕方5時まで、シェフを目指す若い子と一緒に授業を受けてね。レストランで実習がある日には、夜中の12時に帰宅してから、宿題をこなすこともあったのよ」と貴子さんは当時を振り返る。卒業後は、パーティー会場やオフィスに食事を提供するケータリングの会社で働いていたが、ご主人の転勤で2年間日本に帰国。その間に和食も学んだ。そしてイギリスに戻った貴子さんは、知り合いやご主人の会社から料理の注文を受けるようになり、ついにケータリングの会社を立ち上げた。
「自宅で料理を作ってお届けするケータリングなら、自分のペースでできるでしょう。子どもがいる主婦のわたしにはぴったりの仕事だと思ったの」
気軽な気持ちで始めたが、和やアジアのテイストを盛り込んだ彼女の料理は当時のイギリスでは珍しく、口コミで評判が広がった。もともと、やり始めたら中途半端にはできない性格。気がつけば会社のパーティーや100人を超えるウエディングパーティーの料理の注文が入るようになり、料理を乗せたトレーラーを自ら運転し、運ぶまでになっていた。
「どんなパーティーも、限られた時間内での一発勝負。絶対成功させなくてはという緊張感と、お客様に喜んでいただけたときの達成感が気持ち良くて」
実力を認められ、当時のキャメロン英首相が主賓のパーティーで料理を頼まれるまでになった貴子さん。10年もの間、全速力で走り続けたが、そんな彼女にブレーキをかけたのは、彼女自身の身体だった。
絶対に助かると思っていた
ある日、忙しくも充実した日々を送っていた貴子さんに1本の電話がかかってきた。病院で受けた精密検査の結果を伝えるものだった。
「がんが見つかったの。幸い初期だったけれど、身体へのダメージが大きい抗がん剤と放射線治療を受けるためには、仕事を諦めるしかなかった」
検査の結果を聞いたとき頭に浮かんだのは、1週間後のウエディングの仕事のこと。新郎新婦にとって一生に一度の大事な日を、自分の都合でキャンセルすることはできない。混乱した気持ちと、安定しない体調で乗り切れるのか不安もあったが、周りの助けを借りてやり切った。
「二度とやりたくないと思うほどつらい治療もあったけれど、なぜか自分は絶対に大丈夫、絶対に助かるって思ってたなぁ。助からないかもしれないとか、考えもしなかった。だから、病気になって人生観が変わった! とか、そういうこともないのよ」と語る貴子さん。普段からくよくよしない性格だというが、「やっぱりイギリスに来て生活するうちに、強くなったのかな」とにっこり笑った。
器好きが高じて和食器を売ることに
貴子さんがまだケータリングの仕事をしていたころ、イギリスの老舗食器店「トーマス・グード」が和食器を輸入するのを手伝い、日本全国の窯元巡りをしたことがあった。萩、有田、伊万里など、各地で作家たちと語り合ううちに、器の奥深さにはまっていったという貴子さん。そのためがんの治療後、療養のために引っ越した田舎で、趣味の延長で始めたのが器屋だった。イギリスには和食器が好きな人が多く、貴子さんの好きな「渋い器」が思っていたよりも売れたという。しかしその3年後、夫のステファンさんの転勤で香港へ移ることに。イギリスでの在庫を処分する目的でオープンしたポップアップストアが好評で、PMQに店舗を構えるに至った。
「香港は外食文化なので、日常使いのものよりは、飾ってもきれいな器、高くても良いものを求める方が多いわね。でも、お気に入りの器を使うことで、いつもの日常が少し特別になる喜びもお伝えしたい」
ちょっと前まで行列ができていたお店が、あっという間に姿を消してしまうのが日常茶飯事の香港で5年目を迎え、長州島にもうすぐ2号店がオープンするWAKA 。店が順調に続いている要因のひとつは、次女のレイチェルさんの存在だ。香港行きが決まった当時、大学を卒業してネパールのホテルで働く予定だった彼女は、「ママが本気でやるなら、手伝う」と香港に来て、オープン前から貴子さんを支えてきた。今やビジネスに欠かせないSNSも、彼女が担当している。
「レイチェルがいなかったら、香港でお店を持つなんてハイリスクなことにチャレンジしなかったんじゃないかしら。でも、娘を巻き込んでしまった以上、彼女が香港で生きていけるようなお店にしないとね」と貴子さんは言う。
「日本での買い付けは、いつも娘と一緒。わたしが『これは売れるのかな?』って思うものも『すっごいおもしろいじゃない』って言う娘の感覚が、香港の若い人に受けるのよね。わたしと娘の2人のコンビネーションが、うちの強みじゃないかしら」
器を売るだけならインターネットでもできるが、「器を購入して使ってくれる人の顔が見えて、つながりのできる店頭販売は、ネットにはない喜びが何倍もある」と貴子さんは断言する。
「香港を離れたお客様が、またお店に寄ってくださったり、以前購入された器を大切に使っているという話を直接うかがうと、本当にうれしいのよ。器が売れると作家さんにも喜んでもらえる。ケータリングもそうだったけれど、器という好きなことを仕事にして、人に喜んでもらえるなんて幸せよね」
*Hong Kong LEI vol.35 掲載
WRITER書いた人
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