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2025/09/29

「ロメオとジュリエット」といえば、シェイクスピアが16世紀に戯曲として創作してから、今日まで世界中で絶え間なく演じ続けられてきた恋愛悲劇である。これまでさまざまな媒体にも翻案されてきた。グノーのオペラ、チャイコフスキーの交響曲、ゼフィレッリの映画などは二次的な創作としても後世に残る名作となっている。もちろんバレエも然りだ。1935年にプロコフィエフが作曲した同名の組曲はバレエ翻案の定番曲となり、1940年のラブロフスキー版を筆頭に、マクミラン、クランコなどの偉大な振付家が各々の解釈でバレエ化に挑み、大作を残してきた。

僕はこれまでにラブロフスキー版とスペインの鬼才ドゥアトによる演出で踊ってきた。ラブロフスキー版は、バレエとしては最初期の翻案に当たり、原作の雰囲気を残す工夫がなされている。幕が開くとダンテの一文が刻まれた聖マリア像が最初に目に入り、オーケストレーションの一部にオルガンを使うことで、キリスト教色が強くなる。ドゥアト版は2000年代に初演され、ルネサンス的な衣装とは対照的な無機質のメタリックでパズルのようなセットがシーンごとに窓や、十字架など象徴的なクラフトへと変化していく。ミニマルなセットは主人公の内面の変化に焦点を当て、子どもから大人へと短い時間でかけ抜ける様子が見事にバレエのステップで表された作品だ。

そして僕は香港バレエで3つ目の演出となる「ロメオとジュリエット」を踊っている。セプティム・ウェバー振付の香港版の舞台はヴェローナではなく1960年代の香港だ。ジュリエットは上海系移民の有力一家出身で白人の富豪との結婚を控える中、ロメオと恋に落ちる。ネオンサインやカンフーファイト、旗袍を着た女性たちなど香港エッセンスが散りばめられている。

2025 Hong Kong Ballet ©YOON6PHOTO

ところで香港バレエのウェブサイトやプログラムを見てもシェイクスピアのことはあまり言及していない。舞台設定を大幅に変えているので、口うるさいシェイクスピリアン達に文句を言われたくないということもあるかも知れないが、僕はむしろ16世紀のシェイクスピア以来、累積的に翻案され続け記号化した「ロメオとジュリエット」を香港に当てはめて演出したのだと思う。言い換えればシェイクスピアの手を離れ、物語の構造とそして今までの先駆者達によって形作られてきたイメージや感情の奥行きをモチーフにしたのだ。

現にウェバーは「ウェストサイドストーリー(原案は同じ作品)」やレオナルド・ディカプリオ主演でメキシコが舞台の「ロメオ+ジュリエット」などを参考にし、バレエとしては1965年のマクミラン版に最も影響を受けていると語っている。そもそもロメオとジュリエットのモチーフは14世紀のダンテの詩にも登場しているので(だからこそラブロフスキー版ではダンテの一文が刻まれた彫刻がセットとして使われている)、「ロメオとジュリエット」はシェイクスピアだけのものではなく、以前から脈々と繋がれた記号であるのだ。

香港版では他にも記号を使ってセリフがないバレエにおいて感情や状況を表現している。例えば原作でキャピュレット家はヴェローナを治めるエラスケス大公の親戚であるパリス伯爵にジュリエットを嫁がせることで一家の社会的地位を向上させようと計る。香港版のジュリエットの嫁ぎ先はミスターパーカーだ。パーカーはただの裕福な白人ではない。

香港における白人はGweilo(ゴーストマン)と呼ばれ、憧れと同時に蔑まれる存在でもあった。植民地主義的な考えのもと当時の香港で白人に嫁ぐということは社会的地位を一気に駆け上がる機会でもあったのだ。パーカーの存在には卑しさというコノテーションが見え隠れする。そして戦後間もない香港には上海系、広東系、客家系・潮州系移民が混在し、それぞれ独自の言語や習慣があった。その中で文化的対立があって当たり前の時代だ。上海系移民であるジュリエット、広東系移民であるロメオという設定は当時のヴェローナにおける教皇派と皇帝派の対立を見事に表し、混沌の世の中に翻弄される若者たちの悲劇を際立たせる。

ミスターパーカーとジュリエット ©YOON6PHOTO

シェイクスピアを謳っていない香港版だが、実はシェイクスピアを感じさせる演出が隠れている。シェイクスピア作品はまず、語り部が存在する。能で言うところのワキの僧侶だ。多くのバレエ演出では省かれる存在だが、香港版ではロメオの師匠が語り部として幕間で踊り、シーンを繋ぐ。そして庶民の生活(麻雀シーン)に焦点が当たることや、シーンが怒涛に進み短期間で物語が完結するところもシェイクスピア的だ。

ロメオと彼の師匠 ©YOON6PHOTO

とは言っても、演出家が本当にどこまで意図してつくったのかは、踊っている僕らでも定かではない。今書いたことは作品理解のため自分で解釈し、分析した結果だ。なぜそんな余裕があるのか? 実はリハーサル中に、見せ場であるカンフーファイトで小指の腱を負傷してしまい、今行われている韓国公演では戦うことができなくなってしまった。仕事中のカンフーで怪我するのは、香港映画スターか香港バレエのダンサーくらいだろう。そんなわけで戦わないワキの僧(ロメオの師匠)を踊り、作品を傍観する機会があったのだ。

10月の香港公演では他の役も踊り、きっとカンフーファイトもしていると思うので、ぜひこの記事を読んでから見にきて欲しい。隣の人にうんちく垂れれば、おおすごいと感動されるか、怪訝な顔をされるかのどちらかだろう。その時は自己責任でお願いします。

 


高野陽年

立教大学中退後、2011年にロシアの名門ワガノワバレエアカデミーを卒業し、世界的振付家ナチョドゥアトの指名を受け、外国人初の正団員としてロシア国立ミハイロフスキー劇場に入団。主にドゥアト作品で活躍した後、2014年に世界的バレリーナのニーナアナニアシヴィリに引き抜かれ、グルジア国立トビリシオペラバレエ劇場に移籍。ヨーロッパ、北米、日本を含めさまざまな劇場で主役を務めた。2021年より香港バレエ団に活動の拠点を移し、2024年には香港ダンス連盟より最優秀男性ダンサー賞を授与され、プリンシパルダンサーに昇格。さらに活躍の場を広げている。そして学園生活をとりもどすべく?イギリス公立オープン大学でビジネスマネージメントを専攻中

 

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