2026/04/20
Instagram: @o.hagi
聞き手:小林杏
編集:野津山美久
〈目次〉
〈俺はやっぱり、グレン・ミラーだけどな!〉
〈サクソフォーン奏者として、また作曲家として〉
〈ジャズを奏でるということ〉
〈YHUさんに3つの質問〉
〈俺はやっぱりグレン・ミラーだけどな!〉
工業ビル内の一角に佇む「Fountain de Chopin」。ジャズの本場で学んできた若手ミュージシャン達が立ち上げたこの場所に、ある金曜の夜、ライブを楽しむための客がびっしりと席を埋め尽くしていた。
ステージでリーダーを務めるのは、トレードマークであるパナマハット姿のYHUさん。彼のサクソフォーンが力強く低音から高音へ駆け上がると、客はその音に酔いしれる。
YHUさんが、人生の相棒ともいえるサクソフォーンと出会ったのは10歳の夏祭り。吹奏楽の演奏があり、目の前に「ピカピカ光るカッコいい楽器」があった。中学生になり、友人に誘われて行った吹奏楽部で「あの時の楽器」を見つけると、もう、どう考えても、それが一番自分のやりたいものだった。新入生に大人気で高倍率だったが、音を出すコツをいち早く掴んだYHUさんは、サクソフォーン奏者の座を勝ち取った。
ちょうどこの頃、落ちこぼれ女子高校生達が、ひょんなことからジャズにのめり込んでいく青春コメディ『スウィングガールズ』(矢口史靖監督、2004年)が流行。父親の趣味で、家ではいつもジャズが流れていたが、この映画がきっかけとなり、YHUさんは、その魅力に目覚めた。
「周囲の友人がJポップを勧めてくる時に、密かに『俺はやっぱりグレン・ミラーだけどな!』と思ってました」と笑うYHUさん。高校受験の時には、既に「将来はサクソフォーンでプロのジャズ・ミュージシャンになる」と心は決まっていたという。
「ALI」時代。管楽器アンサンブルの仲間と。写真一番左がYHUさん。
高校では、みっちりサクソフォーンの基礎を習得。洗足学園音楽大学ジャズコース卒業後は、アニメ『呪術廻戦』のエンディングソング等で知られる人気バンド「ALI」のメンバーとして活躍した。バンド脱退後、「自分の音楽を考える期間」として一旦音楽を離れ、畳屋での重労働を経験したが、この時もいつもサクソフォーンは持ち歩き、トラックの中などで吹いていたという。半年後、気持ちを新たに音楽活動を再開し、木村カエラを始め、多くの著名なアーティスト達との仕事を得ていった。
〈サクソフォーン奏者として、また作曲家として〉
「とにかく格好いい」と惚れ込んでいるサクソフォーンで演奏することがYHUさんにとって第一の生業だ。その時、その空間に、生身の人間の呼吸でしか作り出せない音楽を聴いてもらいたいという想いがある。それに、人間には「満点ではない、ちょっと欠けているという魅力」も出せる。微妙に外した音は、聞く側にとって快感になったりする。
West Kowloon Freespace Jazz Festival 2025 。広東ポップバンド「The Hertz」のボーカルHermanと。Photo by Irene Chui
作曲やアレンジの仕事もする。
「作曲は、日常に落ちているヒントを偶然見つけて、あれ? メロディー聞こえてくるかも? って。例えば風呂場で雫が落ちる音とか*。あと香港の雑踏の色んな音がミックスされて、一つの音楽となって聞こえてくる時もありますね」
普通の人にはない感性を研ぎ澄まし、音を紡ぎ上げるYHUさん。依頼を受ける時は、制作者の「熱い情熱が伝わってくればくるほどワクワクする」のだそうだ。なぜなら「その想いに、自分も何かをのせられる」からだ。
高校生の頃のYHUさん。サクソフォーン第一だが、軽音バンドでベースも担当していた。
母の故郷である香港には、幼い頃はもちろん、ミュージシャンとしても行き来していた。コロナ禍が明けて久々に香港に来ると、仲間達が「YHU、おかえり」と温かく迎えてくれた。2024年に西九(West K)で行われたジャズ・フェスティバルで、香港の大御所バンド「RubberBand」と野外ステージに立ったのも、昔の縁が繋いでくれたものだ。
そして迎えた2025年。「引き寄せられるかのように、だんだんと香港からの仕事が増えてきた」というYHUさん。日本で一つの愛が終わりを告げたことも追い風となり、思い切って居を香港に移した。
〈ジャズを奏でるということ〉
香港を語る時、「人が温かい」と何度も口にしたYHUさん。
実は、来港当初、金欠に陥ったが、香港の仲間が10万円ほどポンと送金してくれた。メモには「人参、ジャガイモ……etc. 食べ物にしか使うなヨ」。
元々「ミュージシャンって、仕事量によっては不安になる時もあります。でも、一生それと戦っていくしかない」と腹は括っている。でも、「来たばかりの僕を仲間として大切にしてくれている」、その香港人の優しさは胸に沁みた。
アレンジを担当した「The Hertz」の楽曲『逆旅』がUltimate Song Chart Award (叱咤樂壇流行榜頒獎典禮)2025で受賞。写真はメンバー達と。
それからは「いい方向に向かっている」というYHUさん。2025年は香港ダンスカンパニーによる大舞台『武道―ブルース・リーのNo Way As Way』の出演、またアレンジを担当した広東ポップバンド「The Hertz」の楽曲『逆旅』が、香港のメジャーな音楽祭Ultimate Song Chart Awardで入賞するなど、短期間で輝かしい実績を打ち立てた。YHUさんが、言葉以上に深く繋がれる音楽というツールで、仲間に認められ、そして受け入れられている証だろう。
香港では、日本に比べ、ライブの仕事が多いことも魅力だとYHUさんは言う。才能あふれる若いミュージシャンが増えており、また客層も若い。「すごく先がある」と感じている。
香港の某スタジオにて。実はYHUさんはサクソフォーンの他に、フルートとクラリネットも演奏する。
最後に愛するジャズについて聞いてみると、面白いエピソードを教えてくれた。
「僕、高校生の頃からジャム・セッション(即興演奏するジャズの場)で演奏しているんですけど、その時、年配の客に『お前、童貞だろ? 童貞の音してるよ』って言われたんですよ! 」
そしてこう続けた。
「『俺が若いってだけだろう』と反発を覚えたけど、今、あのおじさんの言葉を噛み締めています。ジャズミュージシャンって、様々な経験をして、その時々に自分の内から湧き上ってくる感情を見つめ、それを積み重ねることで、音と奏で方に味わいが出せるんです。そして、僕が歌う音楽に対して、ドラムやベースが呼応する。言うなれば『漫談』です。お客さんは、それを聞いて楽しんでくれるんです」
ジャム・セッションでのYHUさん
日本で、そして香港で、多くの別れがあり、出会いがあった。この先も続いていく人生の中、YHUさんが感じる喜びや悲しみは、彼のサクソフォーンの甘美な音となり、切ない歌となり、仲間や人々の心に触れていくのだろう。
冒頭のライブ。舞台の最後、YHUさんの日本語での「ありがとう」に、客席から笑顔と大きな拍手が溢れた。
*YHUさんのオリジナル曲『Farewell』。独立して新しいスタートを切るときに作曲したというこの曲の冒頭部分は、実は、お風呂場の雫が落ちる音にインスピレーションを受けたそう。
〈YHUさんに3つの質問〉
Q1 ご自身のルーツである日本文化から一つ、香港文化から一つ、それぞれ好きなもの、もしくは誇らしく思っているものを教えてください。
日本で誇れるのは「いただきます」に代表される、モノ、事象、あらゆるものに感謝する文化ですね。香港は、みんなで丸いテーブル囲んで、同じものを分け合って食べるところ。ミュージシャン仲間もみんなでご飯食べて、すごく仲がいいんです。
Q2 音楽以外のことをしている時、何をしていますか?
最近、ニンテンドースイッチを買って「The Hertz」のメンバーの一人と一緒に、ポケモンやっています。笑
Q3 音楽の道に進むことや、香港へ行くことについて、ご両親は?
音楽をやっていた父は、昔からずっと僕を全面サポートしてくれました。ありがたいです。母は今、僕の香港での活躍をめちゃくちゃ喜んでいて、日本から“お母さんVibe全開”なメッセージを毎日送ってきます。笑
日本には大切な両親と、24年連れ添ったペットの亀たちがいるのでちょくちょく帰るという
Hong Kong LEI (ホンコン・レイ) は、香港の生活をもっと楽しくする女性や家族向けライフスタイルマガジンです。

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