2024/09/20

マイオフィスカフェ Tasting Table My office cafe

「Hong Kong LEI – Cover Story」は、香港で輝いている人をご紹介するシリーズ企画です。当記事は、健康と食の安全をお届けする Tasting Table Japan Premium より当企画への賛同と協賛をいただき制作しています。


アクション一筋、全力で駆け続ける!

IG:@kenjitanigaki
Reel : https://youtu.be/NZfDecmRV_4?si=Z6uEEJnkVXVrx5s2
聞き手:小林杏
編集:深川美保


〈目次〉
〈「躊躇?それは余裕のある人間がやること」〉
〈手を差し伸べたトン・ワイ、影響を与えたドニー・イェン〉
〈香港アクションだと香港人が誇らしく思ってくれた〉
〈谷垣健治さんに3つの質問〉


〈「躊躇?それは余裕のある人間がやること」〉

今年5月に公開後、わずか2か月で観客動員数約160万人に達し、香港映画歴代1位*の座に輝いた『九龍城寨之圍城(原題)』。往年の香港アクションが戻ってきた! と大絶賛の嵐を巻き起こした本作において、アクション監督を務めたのが谷垣健治さんだ。彼は日本映画の実写版『るろうに剣心』シリーズで息を呑むアクションシーンの数々を手がけたことでも有名だ。

『九龍城寨之圍城』の撮影現場。谷垣さん(左)とソイ・チェン(鄭保瑞)監督(右から2番目)。

この道に入ったきっかけは、小学生の時にテレビで見たジャッキー・チェン主演の『スネーキーモンキー 蛇拳』。キャッチーな動きの虜になり、友達と夢中になって真似をし、「将来ジャッキー・チェンになりたいって思いました」と笑う。その後も多くのジャッキー映画を見て育ち、高校では少林寺拳法を習う。

高校最後の春休みは初の海外旅行で香港へ向かい、そこでジャッキー主演・監督の『奇跡/ミラクル』の撮影を目の当たりにした。「その現場の熱量。それに圧倒されて、ここにいたい、って強く思いました。何のポジションでもいい、香港映画の中の一人になりたい、って」。ジャッキーになりたいと思った幼少期から一歩、自分の夢の輪郭が見えてきた18歳の春だった。

大学に入ると、数多くのスタントマンを輩出している倉田アクションクラブに所属し、アクションを基礎から学んだ。在学中、2度目の来港時にはジャッキーの出待ちをし、「僕の技を見てください!」と大御所の眼前で自身の技を披露するという逸話を残す。そして大学を卒業後は、バイトで貯めた50万円を握りしめ、アクション映画の本場香港に移住、仕事を探し始める。

1991年、この写真を撮ってもらった後、ジャッキーに「僕の技を見てください!」と迫った。

電話帳を元に、映画会社を片っ端から回る日々。就職活動に必要な広東語の習得は「手立てがあまりない時代だったから、マクドナルドにいる暇な老人とか子供を捕まえて練習しました」と笑う。

なんとも豪快なエピソードの数々。躊躇することはなかったのか、と問うと「躊躇!?」と頓狂な声をあげた。「躊躇って……余裕のある人間がすることじゃないですかね?必死だったんですよ、必死!」。

〈手を差し伸べたトン・ワイ、影響を与えたドニー・イェン〉

「アクションの仕事で食べていくなら香港しかない」、そんな思いで、映画やテレビのエキストラをしながら、培ってきた身体能力もアピールしていく。そのひたむきな日本人青年の姿は少しずつ現場の人間の関心をひいたのだろう、徐々にアクションシーンもやらせてもらえるようになっていった。そしてある日、著名なスタンマンにしてアクション監督でもあるトン・ワイ(董瑋)氏が、撮影終了後に谷垣さんに声をかけてくれ、なんと香港スタントマン協会入会の手続きをしてくれた。外国人でありながらも「香港龍虎武師」としてスタントマンというステータスを手に入れた谷垣さん。その頃のことに関しては「香港人はこんな風に手を差し伸べてくれる人が多かった。よそ者に優しい気質かな」と言う。

1993年、『香港映画の中の一人になりたい!』と夢を追って香港に住み始めた頃の谷垣さん。

1994年、ジェット・リー(李連杰)主演『フィスト・オブ・レジェンド』では日本人道場生役を得た。役者の休憩時間に「人が何かやっていたら自分も手伝う」と言う倉田アクションクラブ精神で裏方の仕事を手伝うと、大御所アクション監督ユエン・ウーピン(袁和平)氏の仕事を間近で見ることができた。「アクションが見映えする為にはこうやって撮るのか!という発見があり、作る側の仕事がすごく面白く思えた。その頃からアクション監督になりたい!という気持ちが芽生えてきた」と谷垣さんは言う。24歳、飛び込んだ香港映画の世界の中で「アクション監督」という目指すべき場所を見つけた。

そして一流のアクション俳優でもありアクション監督でもあるドニー・イェン(甄子丹)氏と出会う。真面目な仕事ぶりとスタントの実力を認められた谷垣さんは、多くの作品をドニー氏と共にし、映画作りについて様々なことを教わった。「脚本を見て、“じゃあこう撮ろう”と言う時のドニーの発想力の非凡さ。その奇想天外なアイデアに僕は育てられた」と谷垣さんは言う。

こうして次第に、アクション監督の助手である副武術指導として指示を出す立場を任されるようになっていく。

谷垣さんに多大な影響を与えたドニー・イェン氏。彼とは今でも親交が深い。

〈香港アクションだと香港人が誇らしく思ってくれた〉

この道でやっていける!と思えたのは1996年、『旺角揸fit人(原題)』の日本ロケの時。若い副武術指導としてベテランスタントマンを相手に、その上広東語で指示を出すということに苦戦していた時期だったが、この日は半分が日本語という状況だったからだろうか、日・港の両スタッフに、自分でも驚くほどに指示が出せた。「周囲の目が変わった。こいつ仕事できるじゃん、って。自分でも、俺、指示を出すの向いてるな!と思った」と言う。前に進み続ける自信を与えてくれた1日だった。

『3、2、1、アクション!』と撮影する谷垣さんの姿もまたアクション!

30年前、身ひとつでやってきた香港で、いまや「アクション監督」として名を馳せる谷垣さん。今までの中で一番嬉しかったことは、との問いには、『九龍城寨之圍城』が大ヒットしたことだと答える。「僕が撮ったアクションを、香港人が香港アクションだって誇らしげに言ってくれた。それがすごく嬉しい」と顔をほころばせる。そしてこう続けた。

「『るろうに剣心』には“これが日本のアクションだ!”ってキャッチコピーがついた。今回の『九龍城寨之圍城』は香港アクションって言ってもらえた。次は……他のところでもやってみたいって思うんです。例えばインドで、“これがインドのアクションだ!”って思われるものを作りたい。香港アクション映画って世界のいろんな所で種を撒いて、それが育っているでしょう? 僕も一箇所に留まらずいろんな国でいろんな印を残したい」

世界を舞台に挑戦を続けていきたいと語る谷垣さんに、スタントマン時代について彼が話した言葉が重なった。「怖いと思ったらできない。だから、できるイメージしか持たない。明らかに無理なら、“このままではできないが、こうだったらできる” というのを考える。できた時の達成感を思い、ムォーってやる気を出すんです」。

アクション監督谷垣健治さんは、これからも前へ前へと駆け続けて行く。

注* 2024年9月現在

〈谷垣健治さんに3つの質問〉

Q1 お休みの時間はどんなふうに過ごしてますか?
休みの前日は深夜に映画見に行っちゃいます。アクションに限らず、アニメでもなんでも、全然予備知識のないものも見ますよ。キックボクシングは以前からやっていますけど、今はものすごくストイックにはやってないですね。

Q2 自分が日本人より香港人っぽいな、と思うのはどんな時ですか?
映画撮っている時は香港人っぽいんじゃないですかね。作り手それぞれに気持ち良い、と感じるアクションのリズムがあります。僕は自分で編集しますから、どのアクションシーンにも僕が気持ち良いと思うリズムが共通してあります。パフォーマーや扱うアクションが違ってもね。そのリズムが香港人っぽいかな。

Q3 元気を出す時に聞く音楽は?
『ポリス・ストーリー』の主題歌、『英雄故事』!

 

*『九龍城寨之圍城』は日本で『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』として2025年1月17日公開予定。
*谷垣さん次回監督作品『The Furious』詳細については、Hong Kong LEIで追ってお伝えしますのでお楽しみに!

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