2025/03/20
「Hong Kong LEI – Cover Story」は、香港で輝いている人をご紹介するシリーズ企画です。当記事は、健康と食の安全をお届けする Tasting Table Japan Premium より当企画への賛同と協賛をいただき制作しています。
いつも「現状打破」の気持ちに突き動かされているんです。
聞き手:紅磡リンダ
編集:野津山美久
〈目次〉
〈「ニホンコン語」とはいったい?〉
〈運命的(?)な中国との縁〉
〈日本、英国、香港:現状打破時代〉
〈波乱万丈の香港生活〉
〈充実した人生の秘訣〉
〈片岡さんに3つの質問〉
〈「ニホンコン語」とはいったい?〉
「嗰位歌手人氣急升」この文章、中国語を知らなくとも日本人なら「歌手」「人気」という言葉からヒントを得て、「この歌手、人気急上昇なんだ」と理解できるだろう。でも文中の「人気」という言葉は、もともと中国語には存在しない語彙。日本から香港に輸出され、比較的最近、中国語で市民権を得た言葉なのだ。そんな香港人の日常生活に溶け込んだ日本語を集め、「ニホンコン語」と名付けて、本を出版したのが片岡新さん。香港で中国語を専門とする研究者だ。
この『港式日語・ニホンコン語』を手に取ると、あまりにもたくさんの日本の言葉が香港で使われる広東語に流入していることに驚く。さてここでクイズ。「傲嬌」「壁咚」はいずれも「ニホンコン語」。どんな意味か分かるだろうか。回答は最後に。
片岡新、李燕萍 編著『港式日語・ニホンコン語』2023年7月1日、三聯書店(香港)
〈運命的(?)な中国との縁〉
「日本のメディアでインタビューを受けるのは初めてなので、緊張しますね」とインタビューに現れた片岡さん。柔和で温厚、品の良いジェントルマンだ。研究者らしい、ゆっくりとした口調で的確な言葉を選びながら語ってくれた。
日本は東京の出身。英語に興味があって勉強を続けていた少年だったが、大学を選択する際、アルファベットを使わない言語を学びたいという気持ちが芽生え、東京外国語大学の中国語専攻に入学。大学生時代は北京語言大学と上海復旦大学での留学も経験し、「辞書が頭に入るほど」北京語を勉強した。
1983年北京にて。
〈日本、英国、香港:現状打破時代〉
「僕はいつも、あまり先を考えていなくて。 “現状打破”みたいな気持ちに突き動かされるんです」と片岡さん。例えば、大学卒業後は大手日系電気メーカーに入社するも、わずか9カ月で退職した。「最寄り駅から会社までの道のりを社員が同じ方向に向かって出社するのを見て、この中にはいたくないと思って」。安定したサラリーマンの道をあっさり絶った。その後、高校での中国語教師の道に進むが、4年で退職。エネルギーにあふれた高校生たちと触れ合ううちに、自分も若いうちにもっとチャレンジがしたいという意欲に突き動かされたのだ。
次に情熱の向かった先は英国、スコットランドのエジンバラ大学だった。ここで「応用言語学」という分野と出会ったことが、現在居住している香港とつながる。「応用言語学が扱うトピックに、言語と社会の関係があります。例えば、一つの言語が他の言語と接したときの影響を調べるのも研究の範疇です」。この時、1995年。2年後にイギリスから中国に返還される香港に目を付けた。香港で使われている広東語や英語が、返還後、中国の標準語である北京語からどんな影響を受けるのか。「これは面白い! と夢中になって(笑)日本に戻らず香港に行くことにしたんです」。
1987年香港にて。上海留学後、香港経由でヨーロッパへ旅行した時の写真。
〈波乱万丈の香港生活〉
「禍福は糾える縄の如し」幸福と不幸は交互にやってくるというが、香港の生活は「禍」から始まった。スコットランドで計画した研究が、片岡さんが広東語を話せなかったことでとん挫。さらに物価高の香港で、貯金も枯渇してしまった。しかし、次に来たのは「福」。大学で日本語を教えるという願ってもないチャンスが巡ってきた。環境も待遇も満足のいく職場であり、さらに、現在10冊以上も本を共著する妻とのお付き合いもこの仕事がきっかけとなった。「ニホンコン語」のインスピレーションも、この仕事から得た。
ところが、ここでまた「禍」に転じる。2000年代初頭に香港を襲ったSARSの影響で失職の憂き目にあってしまう。結婚直後で、一家の大黒柱になった矢先だった。このピンチは、また「福」が訪れたことで切り抜けた。なんと奨学金を得ながら博士課程に通うことになり、最終的に6年かけて香港中文大学を卒業。そして、ライフワークとなる中国語の文法の専門家として、香港教育大学で教鞭をとることになった。
片岡さんの著書。
〈充実した人生の秘訣〉
片岡さんは、現状打破をしたい時やピンチに遭遇した時、次々と幸運に巡り合うラッキーな人のように思えるかもしれない。しかし、片岡さんの幸運は空から降ってきたわけではない。その幸運を享受するに見合う、並々ならぬ努力をしているからこそ、自分の運命を切り開くことができたのだ。学生時代に「特に深い理由はなく」英中2カ国語を教えられる教員免許を取得したことも、難関と言われる「日本語教育能力試験」に合格したことも、しかり。これらの備えが後の彼を数々のピンチから救い、人生を切り開く助けになってきたのだ。
『ニホンコン語』出版イベントは満員御礼。
さらに著書の『ニホンコン語』、これも彼が数十年かけて蓄積してきた知識があって初めて執筆が可能になった本だ。例えば「ニホンコン語」候補かも? と思われる言葉を耳にした時、中国語か否かを即座に判定できるのは、片岡さんの頭の中に「1980年代以降の中国語の辞書が入っている」からだ。冒頭で出したクイズの「傲嬌(ツンデレ)」「壁咚(壁ドン)」も、頭の中の辞書で瞬時に中国語由来ではないと判断できる。さらに、片岡さんは30年にわたって「気になった言葉をちょこっと」メモとして残しているという。こういった長年の緻密な積み重ねがあるからこそ、著書には絶大な説得力がある。
これらの「努力」について語る時、片岡さんは、楽しそうに、ワクワクと目を輝かせる。彼の「努力」は、彼にとっては「楽しみ」に違いないと確信できる。「好きなことを、こつこつとずっと続ける」――仲良しの妻と共に、楽しそうに研究成果を発表する片岡さんを見ていると、こんな言葉が充実した人生の秘訣なのかも、と思わせてくれる。
『ニホンコン語』を共著した妻のクリーム・リーさんと。
〈片岡さんに3つの質問〉
Q1 人生の、そして執筆のパートナーである奥様は、片岡さんにとってどんな存在でしょうか?
結婚して25年になるので、妻はいろんな身分を兼ね備えていると思います。最愛のパートナーであり、広東語の厳しい先生であり(今でも間違いを直されます)、香港での生活の楽しい指南役であり、なんでも一緒に乗り越えてきた、頼もしい戦友です。
Q2 予算度外視で海外旅行ができるとしたら、どこへ何をしに行きますか?
若い頃、香港に来るまでは本当に世界中あちこち回りました。なのに香港に来たら、どこにも行かなくなっちゃったんです。海外に行く意味がようやく見つかったというか。自分を探し当てたっていうか。だから、実はあまり海外旅行は行かなくてもいいやと思っちゃったんですね。でも、あえて行くとしたら、豪華客船にでも乗って世界一周しながら本を書いたりとか、船の上でYouTuberでもやってみたいなと思っています。妻も一緒に。
Q3 30年前と今、香港はどう変わったと感じますか?
実はそんなに変わってないんじゃないかと思うんです。僕が香港に来た30年前は、中国に返還前で、それを不安に感じた人たちが大量に移民して「頭脳流出」と叫ばれていました。でも、今やその人たちがパスポートを取って帰ってきたり、移民の子どもたちが香港に移住してきたり。皆、たくましいんですよね。香港で何があっても、根底の生命力みたいなものは、あまり変わっていないと思います。
Hong Kong LEI (ホンコン・レイ) は、香港の生活をもっと楽しくする女性や家族向けライフスタイルマガジンです。
コメントをありがとうございます。コメントは承認審査後に閲覧可能になります。少々お待ちください