2025/10/20
聞き手:小林杏
編集:野津山美久
〈目次〉
〈日本、香港、オーストラリアにカンボジア〉
〈香港中文大学へ一億香港ドルの寄付〉
〈香港に社会還元〉
〈康本さんに3つの質問〉
〈日本、香港、オーストラリアにカンボジア〉
「1年のうち香港が6ヶ月、カンボジアが3ヶ月、日本が2ヶ月で、イギリスや他が合わせて1ヶ月くらいかな」と言う康本さん。出張の合間をぬってのインタビューに、パリッとしたジャケット姿で登場してくれた。
世界を股にかけて飛び回っている康本さんは、二つの顔を持っている。一つ目の顔は、不動産開発事業家だ。不動産を購入し、多くはサービスアパートメントとして長期運用する。香港の銅鑼湾にあるコーズウェイ・コーナーというサービスアパートメントも、康本さんの所有だ。
小学校高学年の康本さん。昭和30年ごろ東京の実家で。
戦時中の日本で生まれた康本さん。その頃に父の亀範氏が興したゴム会社は、戦後に成長を遂げ、やがて不動産経営にも乗り出した。その後、ゴム事業を兄が、不動産事業を康本さんが引き継いだ。80年代になり、事業が落ち着き、不動産事業拡大へと舵を切ろうと思った折、日本はバブル期へ突入。土地が高騰したため、投資の矛先を海外へ定めた。
「当時、ハワイとかカナダが投資先として人気だったけど、時差があるところは夜中に電話で叩き起こされたりして嫌だからさ」
という理由で1986年にオーストラリアへと向かったが、良い物件に巡り合えず肩を落とした。しかし、「親父の用事でたまたま帰り際に寄った香港」で、康本さんはビジネスチャンスを掴む。時は、香港返還に関して英中共同声明が発効した直後。香港の土地の価格が下落していた。
康本さんは好機を逃さず、中環や銅鑼湾界隈の大きなビルの中から、フロア単位で不動産をいくつか購入した。実は、康本さんは中学の時に英語教師と喧嘩して以来、英語が苦手だったという。しかし、そんなことに尻込みはしなかった。
「英語の書類1ページ読むのに、1時間以上かかってさ。でもやらないと、しょうがないし。そうやって専門用語を覚えていった」
ダイビングやスキー、とスポーツが好きな康本さん。オーストラリア在住時はフルマラソン完走、現在も香港ではハイキングを楽しみ、遠泳大会にも果敢にチャレンジし続けている。写真は1980年後半に撮影。
また、「土地勘を養うために、あちこち歩いて、周りをよく見るんだ」と言う康本さん。そうして購入した不動産の価格は上がり、香港の事業は軌道に乗った。リスク分散の意味もあり、1996年にはシドニーで投資、開発事業を始めた。この時の不動産も自身の足で歩き回って見つけたものだ。
その5年後、今度はカンボジアへも赴くことになる。きっかけは、知人の木村晋介弁護士が、内戦の爪痕残る彼の地で法律支援をしていたことだ。「何か手伝いがしたい」とクメール語の法律本の出版費用を寄付した。2001年、本の贈呈式でカンボジアを初めて訪れた時のことを、康本さんはこう振り返る。
「図書館に本が数冊しかないような状態だった。クメール語の本、出版してよかったよ。ハングリー精神旺盛な学生が食い入るようにして見ていたんだ」
こうしてカンボジアと縁ができ、2007年からは不動産開発事業にも着手。でも「利益追求はしない。発展途上の国で儲けてもしょうがない」と康本さんは言う。
2009年、カンボジアで現地のディベロッパーと共に。建築工事着工前、安全祈願のための地鎮祭。
〈香港中文大学へ一億香港ドルの寄付〉
そんな康本さんの二つ目の顔は、慈善事業家だ。2005年、香港で不動産を売却した利益、約一億香港ドル(当時のレートで約十五億円)を、全て香港中文大学へと寄付し、「康本国際交流奨学金」を創設した。この奨学金によって、海外で勉強する機会を得た学生が4000人ほどいるという。
2006年には、父の名を冠した「かめのり財団」を日本に創設。「父が懸命に築き上げた財産」を、日本、アジア、オセアニアの青少年たちに「国際交流の機会を提供する事業」という形に変えて残した。
なぜ、国際教育なのかと問うと「成長するために教育は絶対欠かせないと思うから」と康本さん。見知らぬ土地で、自立して生きる力をつけた若者の「人が変わったように成長している姿」は、康本さんに教育の大切さを確信させてくれたという。
2024年度香港日本人補習授業校卒業式に、理事長として出席する康本さん。理事長職はボランティアだが「子どもたちのため」と思い引き受けた。
もう一つ、理由がある。バブルが始まった頃の香港で、「えー、香港まで日本軍が来たことがあるの!?」と言う若い日本人観光客たちの会話を耳にして、康本さんはショックを受けた。
「日本が昔、迷惑かけたってこと知らないんだよ」
日本人が海外で学べば、また海外の人間が日本で学べば、現地の人の立場からものを見る力が養われる。自国のメディアだけが唯一の情報ではないことも学ぶだろう。それらは、無知からくるヘイトをなくす、最初の一歩になるはずだからだ。
〈香港に社会還元〉
康本さんが香港で寄付先を探し、いくつかの学校に打診していた当時、「無名の日本人が多額の寄付をすると言っている。なにか怪しい」と日本領事館に問い合わせがあったという笑い話がある。
なぜ、香港で寄付をしたかといえば、香港で得た利益だからだ。運用が思うようにいかなかった物件を手放したところ、元は長期保有目的で購入したために、売却益に税金が課されなかった。このとき、康本さんは「香港に社会還元しなきゃダメだな」と思ったという。
香港中文大学「康本国際交流奨学金」発足及び「康本国際学術園」の命名記念ディナーパーティーにて。
また、ちょうど香港中文大学へ寄付した時、香港政府が、寄付額に応じた額を助成金として上乗せする制度があった。康本さんの寄付金一億香港ドルは、先に述べたように奨学金制度となっただけでなく、この助成金により、2012年には構内にビルが完成した。
寄付者の名をビルに刻むことが珍しくない香港。康本さんの名前を入れることを大学から打診された。しかし「ビルは政府の金で、俺の金じゃないから、断った。そしたらさ、結局、建物に書かないで、下の広場に書いてあるの」と康本さんは笑う。
寄付をすることについて聞くと「今のところ食っていけるから、あとはいいかと思って」という飾らない言葉が返ってきた。康本さんの底に静かに流れているものは、寛大さと優しさなのだろう。
寄付はお金だ。でも、それは「教育」となり、次世代を担う者たちの知恵となり相互理解への礎になる。そして彼らは同時に「寛大さ」「優しさ」を受けたことにより、与える側の人間にも成長していくことだろう。
百万ドルの夜景が輝く地、香港。その地で、康本さんの寄付した一億ドルは、和平への希望となって、香港の夜景に負けずに、光り輝いてくれることだろう。
東京目白の椿山荘にて、娘の成人式のお祝い。仲良く家族4人で。
〈康本さんに3つの質問〉
Q1 人生訓は何ですか?
プラス思考。マイナス思考になったら、もうそこで諦めて、次に進まないから。
Q2 香港でビジネスをする人へアドバイスするなら?
香港でやっている以上、香港の人とより多く付き合った方がいい。情報も多く集まるし。それから、香港は香港人が圧倒的に多いんだから、香港に馴染んだやり方をしなきゃね。
Q3 世界で一番、美しいと思うものを教えてください。
答えは2通りあるんだ。昔ダイビングとかシュノーケリングをよくしていたから、一つ目の答えは、「珊瑚礁なんかがあるエメラルドグリーンの南の海」。女房が一緒にいる時は「妻です」だよ。(笑)(奥様は、Cover Story Vol. 72で紹介した、サシャ・ヤスモトさんです)。
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