2025/02/28
僕は今、香港発シンガポール行きのキャセイ航空の窓から渦を巻く雲を下に見ながらこのコラムを書いている。眠そうに船を漕ぐ同僚達も一緒だ。グループで旅に出ると高校時代の修学旅行を思い出し、ワクワクする。
香港バレエのシンガポール公演が始まる。
“Asia’s premier ballet company” 香港バレエのインスタグラムには短くキャプションが書いてある。ロシアで学び、スペイン人の振付家のもとキャリアを始め、ジョージアという旧ソ連の国で踊ってきた僕がなぜこのアジアの香港バレエに来たのか少し話そうと思う。
僕が香港に着いたのは2021年の夏だった。当時世界中で猛威を奮っていたCovid-19はバレエ業界を直撃し、世界中の劇場はそのドアを閉ざした。舞台で踊ることはもちろん、稽古場で練習することさえままならぬ状況で、ダンサー達は翼を縛られた鳥のようにもがき苦しんでいた。当然、僕もその中の一人で、ジョージアから逃げるように日本に帰国していた。自分のアイデンティティそのものであるダンスを失った僕は、路頭に迷ったのだ。能の教室に通ったりもした。当時受けたインタビューでは日本文化を知る機会になったと言っていたが、バレエをやめる勇気もなかったし正直言って何をしたらいいのかわからなかったから、学びという一番安易な道に活路を見いだそうとしていたのだ。
共にジョージアで踊り、一緒に帰国していた神崎開から香港バレエの短期契約で香港まで踊りに行くという相談を受けた。香港の厳格な入国規制のおかげか、香港バレエだけがコロナ禍でも公演を続けているというではないか。僕は彼が羨ましいと思った。と同時に懐疑的でもあった。日本でバレエをしているものなら誰でもまずヨーロッパで踊りたいと思うだろう。舶来物好きで、伝統を重視する日本人にとって、ヨーロッパから伝わったバレエはヨーロッパが一流であるという先入観がある。アジアのバレエ団は見向きもしないというのが僕ら世代の正直な気持ちだった。以前北欧のバレエ団にオーディションを受けに行った際、「香港バレエに興味はあるか? 推薦するぞ」と言われたことがあった。ヨーロッパ志向があって、自信過剰で生意気だった僕は「結構です」と断った過去があった。
しかしダンスというアイデンティティを失い、人間としても自信を失っていた僕はこの際藁にもすがるしかなかった。幸いにも日本にいる間に稽古をつけてくれて、面倒を見てくれていた恩師が、なんとか香港バレエ芸術監督であるセプティムと話す機会を作ってくれたのだ。
当時ジョージアでプリンシパルダンサーとして踊っていた僕は、同等かもしくは少なくともソリスト契約はもらえるだろうと高を括っていた。しかし香港バレエからオファーされた契約はコリフェ。コールドバレエ(群舞)の一個上の階級であった。アメリカのバレエ業界にいたセプティムにとって、一緒に仕事をしたことがない僕を高いポジションで契約するのはリスクであったのだ。僕が200年以上歴史のある劇場で主役を踊っていようが、世界的に名の知れた振付家の作品を踊っていようが、そんなものは僕のちっぽけなエゴにすぎないということを痛感した。
香港バレエでの最初のシーズンは群舞も踊らなくてはいけなかった。かれこれ5、6年は純粋な群舞を踊っていなかった。学校あがりの18歳のダンサーと一緒にワルツのステップを踏んだ。僕のプライドはボロボロになり、何度もやめようかと悩んだが、「踊れるだけで幸せだ」「三週間した隔離が無駄になる」そう自分に言い聞かせて歯を食いしばって我慢した。
そんな頃から早いもので3年半が経ち、僕はプリンシパルダンサーとして返り咲き、多少の自信も取り戻した。香港の地で妻にも出会った。香港バレエでクレイジー(いい意味で)な監督のビジョンのもと、緑のエイリアンになったり、カンフーしながらロメオとジュリエットを踊ったり、お客さんそしてローカルのコミュニティにバレエという経験を通してどう還元していくかということも考えるようになった。才能に溢れる同僚達に囲まれ、一層鍛錬への気持ちが深まった。香港バレエに来なければ全てできなかった経験だ。ヨーロッパの文化としてのバレエではなく、純粋にパフォーマンスアーツとしてのバレエを通じてお客さんと表現者という関係をどう構築していくかが僕に与えられたタスクになった。
人間はどんな環境に置かれても順応できるようで(それは僕の特性かも知れない)、香港という土地で、アジアでバレエをするということの意義を自分なりに見つけることができたのだ。ダンサーというキャリアの中でうまくいかないことも多々あるが、短いダンサー人生の中で落ち込んでいる時間はあまりない。自分がした決断をいかに正当化するか。さもないと表現者の理想という遠いゴールに向かって時間内に走り切ることはできない。
確かに香港バレエはロイヤルバレエやパリオペラ座バレエと比べると格が落ちるだろう。しかし香港バレエは同じ土俵で勝負はしていない。彼らには守らなくてはいけないヨーロッパの文化としてのヘリテージがあり、その上で新たな創造性を発揮しなくてはいけない。そもそも歴史のない香港バレエは(45年の歴史があると自負しているので、こんなことを言うと怒られるかも知れない)自由で、破天荒なチャンレンジができるのだ。フランスの宮廷からトロピカルなコスモポリタンへ。アジアの若い観客層をいかに取り込むかが香港バレエの至上命題だ。
香港バレエの公演は今シーズンのシンガポールのラインナップの中で一番売れているようだ。アジアの湿った空気を切り裂くように僕は今日もジャンプをする。
高野陽年
立教大学中退後、2011年にロシアの名門ワガノワバレエアカデミーを卒業し、世界的振付家ナチョ・ドゥアトの指名を受け、外国人初の正団員としてロシア国立ミハイロフスキー劇場に入団。主にドゥアト作品で活躍した後、2014年に世界的バレリーナのニーナ・アナニアシヴィリに引き抜かれ、グルジア国立トビリシ・オペラ・バレエ劇場に移籍。ヨーロッパ、北米、日本を含めさまざまな劇場で主役を務めた。2021年より香港バレエ団に活動の拠点を移し、2024年には香港ダンス連盟より最優秀男性ダンサー賞を授与され、プリンシパルダンサーに昇格。さらに活躍の場を広げている。そして学園生活をとりもどすべく?イギリス公立オープン大学でビジネスマネージメントを専攻中。
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