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2025/05/28

今回香港バレエでは「ジゼル」を上演する。「ジゼル」は19世紀のロマン主義時代にフランスで作られたバレエで、いわゆる古典バレエ、「バレエブランの集大成」なんてよく言われる。

作品の簡単なあらすじはこうだ。

1幕 ドイツ南部の村に住む娘ジゼルは身分を隠して村にやってきた貴族の青年アルブレヒトと恋に落ちる。しかし、彼にはすでに貴族の婚約者がいることを森番であるヒラリオンによって暴かれる。真実を知ったジゼルはショックで心を病み、悲しみのあまり命を落としてしまう。

幕 ジゼルは、婚礼前に亡くなった娘たちの精霊「ウィリ」の一員となって蘇る。ウィリたちは夜、森に迷い込んだ男たちを踊り殺す存在だ。アルブレヒトが森の中にあるジゼルの墓にやって来ると、ウィリたちは彼にも死ぬまでダンスを強要する。しかし、ジゼルは彼を守り、夜明けまで踊り続け、彼の命を救う。やがて夜が明け、ウィリたちは消え、ジゼルも静かに天へ戻ってゆく。

「ジゼル」は古典バレエの中でも特別な存在感を放っている。1幕は非常に演劇的であるにも関わらず、2幕は抽象度が格段と上がり、人間的な存在を感じさせない踊りを求められるからだ。まるで1幕と2幕は他のバレエであるかのようである。なぜそのようなことが起こったかというと、実はフランスの政治的混乱が少なからず関わっている。「ジゼル」は王政時代の1841年に初演を迎えている。しかしその後、共和政になったり帝政になったりと激動の19世紀後半、パリオペラ座はその力を失い、「ジゼル」は上演されなくなっていたのだ。優秀なダンサーや振付家が当時勢いのあったロシア帝国のサンクトペテルブルグへと流れていった。そのうちの1人であるマリウス・プティパという偉大な振付家が2幕を改変した新版「ジゼル」をサンクトペテルブルグで上演し、それが今日の「ジゼル」の礎となっているのだ。

ニーナ・アナニアシヴィリに指導を受けたジョージアでの「ジゼル」

さて、古典作品を見にくる観客は何にひかれて来るかというと、一つにレガシー、そしてヘリテージの継承を見に来ていると言えるだろう。単純にストーリーを消費しにバレエを見に行くのだったら、別に古典作品である必要はないだろう。香港バレエの「ロミオとジュリエット」のような古典の現代的解釈だってある。他にも感情を揺さぶる作品はいくらでもあるだろう。だがそれでも観客は純粋な古典作品を見に訪れる。それは歌舞伎座に人々がいまだに足繁く通うことに似ている。歌舞伎座そのものに歴史があり、役者たちは先代たちの芸を継承しているという担保があるから観客は安心して熱中できる。古典バレエを見にくる観客は言い換えれば、バレエ史という文脈の中で生きる作品を見にきていると言える。例えばロシアで現在上演しているジゼルのバージョンはグリゴローヴィチ、ラブロフスキー、セルギエフ(いずれもロシアを代表する古典バレエの振付家)など人から人へ伝承された経路が追跡可能で、世代を遡っていくとプティパにたどり着く。ロンドンだってプティパの影響を受けたソビエトになる前のロシアバレエ(いわゆるバレエリュス)が西側に上陸し、再び「ジゼル」を西側にもたらし今日に至る。中国国立バレエがある北京だって、ソ連時代の「ジゼル」が伝えられ、すでに何世代にも渡って踊り継がれている。

香港バレエでも同じことが言えるだろうか。1997年までは英国の影響を受けたバレエが香港バレエのレパートリーとなっていて、「ジゼル」も英国風のものが継承されていた。しかしそれ以降、芸術監督ごとにバレエ団の方針が変わり、ダンサーの流動性が高い中、明確なスタイルの継承がされてこなかった。現在の新制作版「ジゼル」は南アフリカ出身のバレエマスターが総監修をしているのだが、オリジナルは彼女が以前働いていたアメリカのワシントンバレエにあり、それより以前にどうやって遡るかは不明である。香港バレエの「ジゼル」は監修者のセンスによってその正当性が担保されているのだ。それはその瞬間は充実したものになるかもしれないが、継承という点では古典の継続性という観念が抜けているので今回以降に同じもしくはさらに良くなったクオリティを保証できるかは疑問が残る。

写真左は、「ジゼル」の監修者シャルラ・ゲン Photo: Conrad Dy-Liacco

しかしながら香港でヨーロッパのストーリーを見るという行為は舶来品を見るという他のレイヤーも加わっているので、文脈における作品の正当性にはこだわらなくて良い環境にあるのも確かだ。

むしろ、ダンサー泣かせのこの演劇性かつ身体性を求められる難しい作品をバレエ団として取り組み、バレエ団全体の成長を促すことに意義がある。今の香港バレエは古典バレエよりも監督であるセプティム・ウェバーのスペクタクルな作品の方が映えると思う。しかし監督はダンサーに個々のコンフォートゾーンから抜け出し、ダンサーとして成熟を促すためにあえて難しいチャレンジをさせているのだろう。

そして有名な作品であればあるほど、観客の要求は高くなる。期待に応えて成功させてやる、そんなギラギラした闘争心を燃やして僕らはこの古典バレエに挑むのだ。

 

※ 高野陽年さんが出演する「ジゼル」公演の詳細、チケット購入に関しては、こちらもご覧ください。

香港バレエ団:シーズン・フィナーレを飾るロマンティック・バレエ『ジゼル』、海外豪華ゲストダンサーも勢揃い! – 香港で暮らす編集者が送るカルチャー、イベント情報 HONG KONG LEI


高野陽年

立教大学中退後、2011年にロシアの名門ワガノワバレエアカデミーを卒業し、世界的振付家ナチョドゥアトの指名を受け、外国人初の正団員としてロシア国立ミハイロフスキー劇場に入団。主にドゥアト作品で活躍した後、2014年に世界的バレリーナのニーナアナニアシヴィリに引き抜かれ、グルジア国立トビリシオペラバレエ劇場に移籍。ヨーロッパ、北米、日本を含めさまざまな劇場で主役を務めた。2021年より香港バレエ団に活動の拠点を移し、2024年には香港ダンス連盟より最優秀男性ダンサー賞を授与され、プリンシパルダンサーに昇格。さらに活躍の場を広げている。そして学園生活をとりもどすべく?イギリス公立オープン大学でビジネスマネージメントを専攻中

 

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