2025/06/28
サマーホリデーが終わると、新たなシーズンが始まる。最初の1週間、朝のトレーニングクラスで自分のグループが踊っていない時は、どう休暇を過ごしたか井戸端会議があちこちで開かれる。それはどこの国のバレエカンパニーでも同じだろう。ロシアやジョージアにいたとき、同僚たちは揃って皆日焼けしていた。9月の終わり頃までは背中にくっきりとついた水着の跡が舞台の上でも目立っていた。しかし、香港バレエでは日焼けしているダンサーは数える程で、特に多くの女性ダンサーは暗室で育ったもやしのように白い。元々白いままの肌にさらに白いファンデーションを塗りたくっていて、まるでプラスチック包装を破いて取り出したばかりの人形だ。とあるバレリーナが彼女の腕を僕の腕の隣に合わせてきた。明らかに僕の腕の方が日焼けしていて「僕の勝ちだ」というと「わたしの勝ちよ、わたしはどんどん色白になってるでしょ」と言ってきた。
東アジアでは色白こそが美的価値の最重要項目である。広告やCMを見ていても、あらゆる場所で「美白」の文字を目にする。唾の深い帽子、日傘に長袖のカーディガンのフル装備で紫外線対策をする事が女性にとって当たり前だ。秋田小町なんてよく言うように色白い肌は賞賛の対象であった。この女性の色白賞賛は奥文化が東アジアにあったからだろう。大奥や中国の宮廷に代表されるように、権力者の屋敷の奥深い場所に女性たちが集められ、外に出ることも許されず、屋敷の中で生活することを求められた。外に出る際も籠に乗って移動するので日に当たる事がない。一方で農民たちは外でずっと農作業をするので皆一様に日焼けしていた。日に焼けない肌は富の象徴であり、経済が発展するとともに中産階級は農民と自らを区別するように白い肌を求めていったのだろう。
南仏では誰もが日に焼けた肌を露わにする
僕は今年の休暇をジュネーブと南仏で過ごしたのだが、湖のほとりに行くと、多くの人々が肌をあらわにして日光浴をし、すれ違う人々はみな老若男女小麦色の肌を自慢げに見せていた。ヨーロッパではアジアと真逆で日焼けした肌ほど美しいと捉えるのだ。アジアに比べて太陽が出ている時期が短いヨーロッパ(特にドイツより以北)では強い日差しと乾燥して暖かい地中海性気候のある場所、南仏やイタリアなどがホリデーの定番である。そして日焼けした肌はホリデーをリゾート地で過ごす事ができる、富と時間の余裕を示すステータスなのだ。逆に夏の間に色白い肌でいることは不気味だと皆からジャッジされると言うではないか。僕の妻は仕事が忙しく、あまり日光浴に行けなかったらしく、セルフタンクリームと呼ばれる少し茶色い色素が入ったクリームを肌に塗って日焼けしている風に見せていた。ヨーロッパの人も強すぎる紫外線を浴びるとシミが肌にできたりもするが、そんなものはお構いなしで、シミができることよりも日に焼けることの方が彼らの美にとって優先事項であるようだ。
ところで南仏でもアジア系の人を見かけることがあった。二つのグループに分かれ、一つは日傘を差して長袖を着て、強い南仏の日差しをどうにか遮ろうという者。もう一つはストローハットをかぶって、肌を露わにしたカラフルなドレスとサンダルを履いた者。前者は観光客で後者はフランス語を話し、南仏に移住、もしくは生まれた者である。人種は一緒でも身をおく文化によって美のスタンダードが変わるのだ。
ローヌ川の辺りで日光浴をする人々
日本では一時期、日焼けサロンが流行り、日焼けした肌がブームになった事がある。ヨーロッパやアメリカの文化が入り、さらにそれが日本の中で発展することで、ガングロみたいなカルチャーが生まれたわけだがそれは経済的に日本が停滞していた時期と被る。富の象徴である色白へのアンチテーゼとして日焼けブームが日本では起こったのかもしれない。しかしそんなブームは過去のもので、また色白が美的価値を支配している。僕の母は60を過ぎて、みっともなくて肌は人前に出せないとよく自分で言っている。しかし僕の妻(オランダ人)の家族は同じ歳でも何の躊躇いもなく肌をあらわにする。日本的にいえば肌を隠すことが奥ゆかしさであり、着物を着ていた日本文化だというかもしれないが、同時にグラビアアイドルがお茶の間のテレビに出て、男たちは雑誌の水着写真に発情する。男が若き妻を求める構造こそが、若かさを美の絶対とし、純粋で無垢な象徴である色白を求めるのかもしれない。そういえば香港で出会った経済的に自立したキャリアウーマンたちは年齢を重ねてもミニスカートをはきこなし、ケアはしているだろうが程よい日焼けもしていた。
そんな僕は傍観者として女性たちの苦労も知らずに、背中に日焼け止めクリームを塗り忘れ、真っ赤なトマトと化すのであった。
高野陽年
立教大学中退後、2011年にロシアの名門ワガノワバレエアカデミーを卒業し、世界的振付家ナチョ・ドゥアトの指名を受け、外国人初の正団員としてロシア国立ミハイロフスキー劇場に入団。主にドゥアト作品で活躍した後、2014年に世界的バレリーナのニーナ・アナニアシヴィリに引き抜かれ、グルジア国立トビリシ・オペラ・バレエ劇場に移籍。ヨーロッパ、北米、日本を含めさまざまな劇場で主役を務めた。2021年より香港バレエ団に活動の拠点を移し、2024年には香港ダンス連盟より最優秀男性ダンサー賞を授与され、プリンシパルダンサーに昇格。さらに活躍の場を広げている。そして学園生活をとりもどすべく?イギリス公立オープン大学でビジネスマネージメントを専攻中。
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