2023/05/18


はじめに
Hong Kong LEIのWebコラム「キリ流香港散策」を連載中のキリさんが、2022年1月に『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』という本を出版しました。この本はキリさんが、明治~昭和期の日本偉人の香港来訪記録を調べてまとめたものです。
日本の多くの歴史的偉人が香港に来ていたこと、その偉人たちは香港のどこへ行き、何を見たのか、香港からどんな影響を受けたのかなどを、キリさんの本を日本語訳にする形でお伝えしたいと思います。
このコラムは『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』の一部分の翻訳であり、また文字数の関係から意訳しているところもあるので、内容をより深く知りたい方はぜひキリさんの本をお手にとってください。

第10回 高浜虚子訪港:1936年2月28日~29日、6月4日


高浜虚子(たかはま きょし)
1874(明治7)年~ 1959(昭和34)年、愛媛県出身の俳人、小説家。中学生で正岡子規に兄事し俳句を教わる。1897年に創刊された『ほとゝぎす』(現『ホトトギス』)を翌年に継承。俳句文芸誌として和歌や散文も掲載するようになり、ここから夏目漱石『吾輩は猫である』が世に出た(現在同誌は、高浜虚子の曾孫にあたる稲畑廣太郎氏が主宰)。正岡子規没後は小説も創作し始めた。

上海、香港、シンガポール、カイロ、最後にフランスのマルセーユに着き、ドイツ、オランダ、イギリスを訪問した高浜虚子。彼の著書『渡佛日記』の中に、1936年2月、まだ学生だった娘の章子と香港でドライブしたことが書かれている。「The China Post」も高浜虚子の来訪を報じた。虚子の詳細な記録を通して、1世紀近くたった今でも虚子が香港島をドライブしたルートを辿ることができる。

物語は1936年2月28日朝、箱根丸が九龍埠頭に入港する前から始まる。甲板から香港を見た虚子は、美しい景色を称賛せずにはいられなかった。
2月末とはいえ充分暖かかったので虚子は春夏の服を着て出かけた。下船後、三菱商事の下田幸三郎とともに香港を散策。ウォーターフロントから山頂まで建っているレンガやコンクリート作りの家々を眺めた。
ビクトリアハーバーは活気に満ちていた。虚子の乗っていた船の他に日本の駆逐艦「夕霧」もいた。フランスから来た駆逐艦も虚子は見ている。
スターフェリーに乗り、15分で香港島へ到着。虚子一行はまず干諾道中8号の日本郵船会社の前を通り、雑然とした道を歩いていくと三菱商事に着いた。そこに大阪毎日新聞の特派員足利緝が来て面談した。

下田幸三郎の計らいで、一行は車で香港島を一周することになった。現在は政府総部となっている周辺の炮台徑を走り、マンゴーやココナッツの木を眺めながら坂を上り、香港島の裏手にまわって薄扶林の墓地や牧場を見た。牧場には豪華な牛舎があり、付近には牛の飼料となる麦畑が広がっていた。
それからアバディーンへ行き、湾に浮かぶ中国船や、日本から移植されたという松の木や花を見たりした。その後はレパルスベイの麗都(リド)ホテルのカフェでお茶をし、パパイヤやさまざまな植物を鑑賞した。

「香港リドーの入口にて」(高浜虚子『渡仏日記』(昭和11年、改造社)掲載画像、国立国会図書館デジタルコレクションより

香港島南部を後にした一行は、島を一周する道の中でも一番高い場所にある山頂(ピーク)ホテルで下車した。ここからの帰りにピークトラムに乗った。虚子は、ピークトラム乗り場の入り口にピークに住む人々の名前が書いてある木札があることに気づいた。
ピークトラムを下車すると、先回りした車が待っていたので乗りこみ、金龍レストランへ移動。レストランのエレベーター前が人だかりで、なかなか乗れなかったが「風月蘆」という部屋で昼食をとった。
昼食後は、三菱の原清に案内され街を散策。百貨店に入り、映画館の前を通り、最後にビクトリア女皇の像がある広場に着いた。この像は幸運にも戦禍を免れ、現在はビクトリアパークにある。
この夜、虚子一行は湾仔の日本旅館「千歳館」で夕食をとった。そこには日本の芸妓がおり、八重、松千代、久千代という名だった。

2日目の朝、天気は良くなかったが、虚子は甲板で俳句を二句詠んだ。

 

香港の春暁の船皆動く

春暁や戎克にわめく人の声

 

船上では虚子の娘や東北大学の成瀬政男博士、小説家の横光利一なども同行していたから虚子は孤独ではなかった。
このヨーロッパ旅行の帰路である6月4日、虚子たちはまた香港へ立ち寄り、千歳館で食事をした。前回会った芸妓もおり、新しい顔ぶれもいた。この時も下田幸三郎の案内でスターフェリーに乗り、タイプライターのある店を幾つか見て、香港島を一周した。

 

※ 今回でこのコラムは最終回となります。ご覧いただきありがとうございました。
この翻訳コラムを始めることをご快諾いただき、毎回コラム公開前にご確認とご助言をくださったキリさんに感謝いたします。

コラムの原本:黄可兒著『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』(2022年1月、三聯書店(香港)有限公司)

 

〈著者プロフィール〉
黄可兒(キリ)
香港中文大學歷史系學士、日本語言及教育碩士。日本の歴史や文化を愛し、東京に住んでいた頃に47都道府県全てを旅する。『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』は、夏目漱石研究の恒松郁生教授との縁で、2019年から始めた日本偉人の香港遊歴研究をまとめて上梓したもの。

 

キリさんのWebコラムはこちら「キリ流香港散策

 

翻訳:大西望
Hong Kong LEI編集。文学修士(日本近現代文学)。日本では明治期文学者の記念館で学芸員経験あり。


 

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