2024/11/26

 

香港の老舗の歴史にまつわるお話を香港老舖記錄冊 Hong Kong Historical Shopsさんとのコラボでご紹介したいと思います。香港老舖記錄冊さんは、Facebookなどで香港の歴史的なお店を独自で取材して発信しています。香港文化の象徴として老舗の存在は欠かせない、老舗が存続していくことが香港の文化を盛り立てることだと言います。香港を愛するHong Kong LEI編集部のわたしたちもまた、昔から愛され続けている香港で誕生した商品が、どんな会社によって作られ、どんな背景で誕生したのか、また、どんなところで、どんなふうに作られていたのかなどを垣間見たくなりました。題して「香港オタクのための愛すべき香港老舗の歴史をたどる」です。でも長いのではしょりまして(笑)「香港老舗の歴史をたどる」と命名いたしました。どうぞよろしくお願い申し上げます。


さて、今回ご紹介するのは、竹籠などを売っている「杜洪記」です。今では工芸品やインテリアとして一目置かれている竹製品ですが、暮らしに欠かせない日用品だった時代がありました。その時代から続くお店です。


杜洪記 – 堅尼地城
創業: 1940年代
経営: 日用品店
場所: 堅尼地城吉席街52號
商品: 竹籠

撰文:Erica

竹、籐、木、麻、その他の植物で作られた日用品は、シンプルで実用的で飾り気がないですが、その設計と製造には無限の知恵と複雑な手順があり、人間が自然の恵みによっていかに生活を便利にするかを反映しています。 この地の人々は、土地を最大限に活用し、地元の材料を使う方法を知っていました。山の中腹まで行って必要な原材料を集め、農具や家具、日用品、さらには玩具を作りました。ケネディタウンにある杜洪記は、プラスチックやステンレスが一般的でなかった時代、地域社会のニーズに応えていた数多くの山間部の工房のひとつでした。

 

この後の翻訳文は以下のFacebookから抜粋しました。
https://www.facebook.com/162868377728313/posts/728294437852368/?d=n

 

杜洪記の創業者である杜洪氏は、竹編みで有名な佛山市南海の羅行墟出身で、香港に来てからは西環で働き、その後独立、職人技と忍耐力で杜洪記を創業しました。創業から1970年代初頭まで、杜洪記は吉渓街60号にある3階建ての長屋に居を構え、竹籠の製造と卸売を専門とする工房兼住居でした。当時は商売も繁盛し、一家総出で籠を作り、社員雇用には契約制を採用するまでになりました。

杜洪記の顧客は、その地理的位置と切っても切れない関係にあります。 ケネディタウンには、19世紀末から1980年代以前、鶏、アヒル、ガチョウ、牛、羊、豚、魚、エビ、野菜を卸売する9大市場があり、中でも魚市場、エビ市場、野菜市場が杜洪記の主な顧客でした。さらに、大澳、長洲島、馬灣など近隣の離島にある日用品店も杜洪記から商品を仕入れていました。

竹籠作りは分業制で、材料を開く、底や胴を編む、穴を開ける、紐を結ぶなど、それぞれの工程を担当します。杜洪記が作る竹籠の大きさは、直径も高さも20センチ以上とかなり大きく、一日平均2、3個しか作れません。竹籠に入れる荷物のほとんどは濡れるもので、利用者は竹籠を引きずるため、竹籠の消耗は非常に早く、利用者は定期的に竹籠を購入します。昔は、竹籠は普通の品物で、今の工芸品や無形文化遺産としては扱われず、一個が安価なため、杜洪記はわずかな利益しか得られませんでした。工房は朝8時から夜10時すぎまで開いていて、たとえ電力供給が不安定で十分な明かりがない時があっても作り続けなければなりませんでした。竹は鋭利なため、皮膚を切ることも珍しくなく、竹籠製造の裏には名人たちの血と汗が流れています。

 

 

 

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