2023/04/13

みなさん、こんにちは!

今回の「Old Hong Kong in Colour (彩られ蘇る香港今昔)」は、「渋沢栄一、35年越しの香港」です。

LEIコラム「偉人たちの見た香港」第9回に登場した渋沢栄一が実際見た香港の景色を古写真からのぞいてみましょう。

渋沢栄一が来港したのは、1867年(日本の江戸時代末期)と1902年(明治時代)の2回で、その間、実に35年。香港はどんな変化を遂げていたのでしょうか。


「偉人たちの見た香港」第9回 〈本文抜粋〉

渋沢栄一が最初に香港に来たのは1867年で、27歳の頃。フランスのパリで万国博覧会が開催された。フランス政府は徳川慶喜将軍を招待したが、当時の政治情勢が不安定だったため、将軍の弟である14歳の徳川昭武が代理で派遣された。博覧会への参加に加えて、列国を周遊し、パリで留学することも計画され、渋沢栄一らが随行した。

 

1枚目の写真は、1868年の香港總督府です。


2枚目は、1868~71年頃の香港海濱(現・德輔道中)です。渋沢栄一が来港した頃は、德輔道中付近がウォーターフロントだったのですね。

 

 

「偉人たちの見た香港」第9回 〈本文抜粋〉

それから35年後、日本は徳川幕府から明治中期になった。 1902年、渋沢栄一は欧米漫遊の帰路で再び香港を訪れ記録を残したが、この時すでに60代だった。(中略)滞在日数はわずか1日半。当時、彼は重要な地位におり、20代で来た香港での過ごし方とはまったく異なる社交に忙殺された。しかし、今回はビクトリアピークに登り、香港の魅力的な景色を楽しむことができた。

 

 

3枚目は、1904年の德輔道中です。この年に開通した真新しいトラムが走っています。渋沢栄一は1902年に来港したので残念ながらトラムが走っているこの光景は見れなかったということになります。

最後の写真は、1901年の滙豐總行大廈です。60代の渋沢栄一はこの建物を訪れたかもしれないですね。


 

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