2023/11/17


今回ご紹介するところ

祇園寺(水戸市)

弟橘比賣神社(大洗市)

弟橘媛神社(北茨城市)

小川の天妃尊(小美玉市)


LEI読者の皆様、こんにちは。香港の天后廟を巡る日本人ことやんまです。

前回の外伝でも紹介したように日本にも拡がっていた媽祖(天后/天妃)信仰、その実態を知るべく今回は茨城県を訪問しました。「魅力がない都道府県」などと揶揄されている茨城県ですが、国営ひたち海浜公園公園の景観や日本三名園の偕楽園は全国的に知られていますし、東京からでも小旅行を楽しめるエリアとして国内はもちろん、香港をはじめ海外の人々に注目されている県です。日本人からすると、茨城と聞いて思い浮かべる人物がいるとすれば水戸黄門こと徳川光圀ではないでしょうか?

そんな水戸徳川家に縁のある史跡の一つに祇園寺というお寺があります。水戸駅からバスで10分、広い境内を進んだ先の本堂では三つ葉葵の垂れ幕がお出迎え。

その参道の横に小さな廟があります。ここに祀られているのは祇園寺の開基とされる東皐心越(とうこうしんえつ)なる人物。今回はこの心越禅師から始まる物語です。

時は1676年、中国大陸では明から清へ王朝が変わる激動の時代。清の圧政から逃れようと心越は日本へ亡命しますが、清のスパイと疑われて長崎に幽閉されてしまいました。そこに光圀がやってきて彼を釈放し、水戸へ招聘します。彼は禅宗の人間でかつ文化人でもあり、琴をはじめ詩文や書道に長けていました。光圀自身も彼に師事する中で、媽祖信仰のことを教わったと言われています。心越は日本に渡海する際、その安全を祈願して媽祖像を携えていたのでした。

折しも水戸藩は東北からの物資を輸送する東廻り航路の中継拠点として海運業が盛んだった頃。その地理的背景から光圀は媽祖信仰に深く感銘し、心越が持ち込んだ媽祖像に倣って三体の媽祖像を作らせ、水戸藩の各地に廟を建てたのでした。したがい、祇園寺の本堂の片隅に置かれている像は茨城の媽祖信仰の始まりとも言える有難い媽祖様と言えるでしょう。

ここからは光圀が作らせた三体の媽祖像が祀られている廟を一緒に巡りましょう。

まずは大洗町にある弟橘比賣(オトタチバナヒメ)神社です。1690年の創建当時は天妃山媽祖権現と呼ばれており、漁民の厚い信仰を集めました。1831年、当時の藩主で後に将軍となる徳川斉昭の施政下で祭神がオトタチバナヒメに変わります。斉昭は神道を重視する政策を取ったために、それ以外の寺院は廃止するか名前を変えざるを得なかったとも言われています。

このオトタチバナヒメは古事記や日本書紀に登場する女性のこと。ヤマトタケル(大和武尊)を夫に持ち、自ら海に身を投じて暴風雨に行く手を阻まれていた夫を救ったという伝説があります。父を救おうと海に入って命を落としたという林黙が神格化して媽祖となった物語にどこか通じるものを感じますね。この祭神の転換がなければ媽祖信仰の系譜も途絶えていたのかもしれません。

 

さらに北へと向かいましょう。次に訪れたのは北茨城市・磯原です。駅から海岸線を20分ほど歩くと小さな山が見えてきました。天妃山です。

ここには弟橘媛神社という神社があり、この読み方もまたオトタチバナヒメ。大洗と類似した史実を持っていますが、お堂には「天妃姫」と書かれており、先ほどに増して媽祖との合祀であることがよく分かります。境内の片隅に水戸光圀が腰掛けたと言われる石もありました。

ちなみに、ここ磯原は童謡しゃぼん玉の作詞者で知られる野口雨情ゆかりの地としても知られています。彼が残した詩のひとつである「磯原小唄」には、”天妃山からアメリカは見えないか”と訳せる一節がありますが、わたしからすれば”天妃山から福建は見えないか”と読みたくなるところ。ここからは福建省もアメリカも見えるわけないのですが。

最後は霞ヶ浦の北側、小美玉市小川という場所にある天妃尊です。ここは心越のもとで修行した蘭山という人物が、この地で天聖寺を開く際に最後の一体を賜ったと言われています。いまは天聖寺そのものはなくなったものの、小川に住む人々が小さな祠を建てて大切にしてきました。毎年、盆の時期に開帳されるそうなので、いつかお目にかかることができればと思います。

心越にはじまり徳川光圀が広めた媽祖信仰の物語、いかがだったでしょうか? 光圀というカリスマ的存在がいて、かつ漁業や海運業で栄えた場所だったからこそ、媽祖信仰がより身近なものとして伝わってきたことが良く分かります。信仰が危ぶまれたことがあっても、地名や伝承の中でそれを残してきた水戸の人々の心も垣間見え、香港では出会えなかった独特の系譜に感動しました。

思わずこう言いたいですね。「この歴史と信仰心が目に入らぬか!」と。

 

(今回巡った4ヶ所の位置)


やんま
2020年10月から出張で香港入り。仕事の傍らになんとなく始めた天后廟巡りにハマり、その魅力をSNSで発信するようになる。やんまは小学生時代のあだ名から。


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