2020/11/15
まさかの本屋でリクルート
「ここでお仕事をするようになって、もう年ですね」と穏やかな口調で語る黎まどかさん。中高生の子どもたちが学ぶインターナショナルスクール「ESFアイランドスクール」で日本語を教えるベテラン教師だ。IB教育を実践する同校は選択科目に日本語があり、高校受験と大学受験にも対応できるという、香港では数少ない学校。現在日本語が流ちょうな日本人から、平仮名もはじめてという外国人まで約名の学生を、黎さんと香港人の先生、アシスタントの3人で受け持っている。
黎さんが日本語教師という仕事を意識したのは、大学3年生のとき。交換留学生として過ごしたイギリスの大学でボランティアで日本語を教えたことで、人に教える喜びに目覚めたという。
その大学で知り合ったご主人と卒業後すぐに結婚し、香港へ移住した黎さん。長女を妊娠、育児中に通信教育で学び、日本語学校で教師として働き始めた。
「みんなが大学を卒業して就職したときに、わたしは結婚して出産したので、もう子育てとやりたいことを一緒にするしかなかったんです」
觀塘に、日本語学習者のための本屋がある。日本語を教え始めて1年経ったある日、その本屋で自分のレベルに合う参考書がわからず困っている外国人に出会った。長女を抱っこしながら「このレベルのテキストが良いのでは」とアドバイスをする黎さんを見て、書店の人がこう言った。
「あなたにちょうど良い仕事があるので、連絡先を教えてもらえませんか?」
電話番号を伝えたところ、その日のうちにアイランドスクールから連絡があり、パートタイムで勤めることがとんとん拍子に決まったという。「よほど日本語教師が必要だったのでしょうね」と黎さんは笑うが、その後の黎さんの活躍を見ると、店主の見る目は確かだったということだろう。
不登校を乗り越えて
働く母親にとって子育てと仕事の両立は大きな課題だ。香港ではヘルパー(住み込みのお手伝いさん)を雇う人も多い。しかし、どんなに子どもの世話や料理をしてもらっても、母親の代わりにはならない。黎さんもそれを実感したひとりだった。
「働き始めて4年経ったころ、キャリアアップのために夜間の大学院へ通い始めました。そのためヘルパーを雇いましたが、当時2歳だった下の子が夜中に時々起きて泣くようになったんです。寂しい思いをさせているのかなと、大学院の受講数を減らしました。おかげで卒業には6年かかりましたが、子どもも大切に育てたかったんです」
アイランドスクールでフルタイムになってからは、夕方6時に帰宅できれば早いほう。仕事に追われていると、つい食事中に仕事の書類を読んでしまうことも。まだ小さかった下の子に「ちゃんとわたしのことを見て!」と言われて、はっと我に返ったこともあるという。ただ、どんなときでも本の読み聞かせは欠かさなかった。子どもとゆっくりと過ごせる幸せな時間だった。
大好きな教師の仕事だったが、1度だけ辞めようかと思い詰めたことがある。原因は息子さんの不登校だった。
「何とか学校へ行けないかといろいろとやってみたけれど、ダメでした。12歳から学校へ行かなくなり、鬱で入院するまでになってしまって。夫は仕事で中国にいることが多かったこともあり、あのときはもう、さすがに仕事を辞めようと思いました」
そんな黎さんを引き止めたのは、教頭先生からの電話だった。
「何も考えなくていいから、学校を2日間休みなさい」
その言葉に甘えて、構ってあげられなかった上の子と一緒にゆっくりと過ごした。頭を真っ白にして、ぼーっとしているうちに『もう少しがんばってみよう』という気力が湧いたという。
その後息子さんは、さまざまな事情を抱える子たちが通う日本のフリースクールへ行って勉強への意欲を取り戻し、香港の高校にも通った。しかし最終的には、アメリカの授業を自宅で受けるというホームスクーリングを選び、見事アメリカの大学に入学した。自分の生き方を模索し、もがいていた息子さんにずっと寄り添ってきた黎さん。その道のりは、きっと他の人には想像できないほど壮絶なものだっただろう。
「彼は生きるか死ぬかというほどギリギリの精神状態だったので、わたしも必死でした。もう最後は好きにさせるしかなかったんですよ。今は、本人も吹っ切れて、すっかり元気。今年からスタンフォード大学の大学院へ通うことになりました。わたしは、もう元気でいてくれればそれだけでいいって思っています」
自分のペースでコツコツと
日本語の勉強といえば、平仮名とカタカナの練習から始めるものだと思う人が多いだろう。ところが、黎さんによるとIB教育ではリスニングから学ぶこともあるのだそう。
「入学して日本語を学び始めたばかりの子は、日本語を聞き取ってローマ字で書くところからスタートします。聞き取れると、平仮名もタイプできるようになってくる。そうやって、平仮名を覚えていくんです」
一方、母国語が日本語でハイレベルの子どもたちは森鷗外や夏目漱石などの文学や古典の読解、解釈も学ぶ。各レベルに合わせたより良い授業をするために、イギリスの大学院のオンラインコースで教育学も学び、IB 教育の研修も毎年のように参加している黎さん。常に前に進むための努力を怠らない。
そんな黎さんのもとで学び、日本語力をつけた卒業生から「日本で就職が決まりました!」「日本の大学に入りました!」「日本の学校でパティシエの資格を取りました」と連絡があるたびに、この仕事をやっていて良かったと思う。そして、息子さんの姿を見てきたからこそ、授業に集中できない生徒には「みんな、それぞれ事情があるんだろうな」と思うし、追い詰めずに信じて待とうと思う。「わたし、何をやるにも人より時間がかかるんですよ」と笑うが、自分のペースでコツコツと、粘り強く前に進み続けるのが彼女の生き方であり、強みだろう。
「振り返るといろいろ大変なこともありましたが、今は仕事に集中できて充実した日々を送っています。幼いころ、母に『あなたには好きなことを極めてほしい』と言われていましたが、気がつけばそうなっていますね」と黎さんはほほ笑んだ。
*Hong Kong LEI vol.41 掲載
まどか先生との対談動画はこちら!
https://hongkonglei.com/facebooklive_07-02-2021/
WRITER書いた人
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