2021/09/15

子どもより絵本に夢中になった
アメリカでの子育て

40年以上前に出版された絵本『サリーのこけももつみ』(岩波書店)では「ブルーベリー」が「こけもも」と翻訳されている。ブルーベリーは、当時の子どもになじみの薄い果物だったからだろう。

「わたしが翻訳を始めたころはまだ説明が必要だったハロウィーンの習慣も、今ではすっかり日本に定着している。時代の変化を感じますね」と笑うのは、十数年にわたって英語書籍を日本語に翻訳してきた中井川玲子さんだ。

中井川さんは、日本の大学を卒業後、アメリカへ留学して現地で結婚。カリフォルニアで20年間暮らした後、香港に移住した。アメリカで生活した1990年代は、日系の会社で働きながら3人の子育てに奮闘していた中井川さん。彼女が翻訳に興味を持ったきっかけは、子どもたちへの「読み聞かせ」だった。

「保育園の先生方が、毎日読み聞かせをしてくださっていた影響で、わたしも子どもと本を読み始めたら、とっても楽しくて。子どもよりもわたしのほうが絵本に夢中だったかもしれません。ベッドであおむけになって読みながら寝てしまい、顔に本がバサッと落ちたことも、今となっては良い思い出です」

当時よく読んだのは『かいじゅうたちのいるところ』の作者であるモーリス・センダックや『はらぺこあおむし』で有名なエリック・カールの絵本など。独特な絵が魅力的で、世界中の学校や図書館に必ずあるロングセラーの絵本だ。

アメリカの絵本の世界に魅了された中井川さんは、児童書に関わることができないかと次第に考えるようになった。そこで参加したのが「やまねこ翻訳クラブ」。児童書翻訳家を目指す人たちが、インターネット上で児童書翻訳の勉強会や情報交換を行うクラブだ。

木棉樹を経営しているキャンディーさん(左)、メロディーさん(右)と一緒に。手にしているのは木棉樹が翻訳出版した日本の絵本。

『フルハウス』で翻訳家デビュー

やまねこ翻訳クラブで翻訳の勉強を続けて5年ほど経ったころ、中井川さんに大きなチャンスが訪れた。

「出版社からやまねこ翻訳クラブに声がかかり、当時アメリカで大人気だったテレビドラマ『フルハウス』の小説版を数名で翻訳することになったんです。子どもたちが夢中になっていたドラマだったこともあり、ぜひ翻訳したいと手を挙げました」

『フルハウス』を翻訳してしばらくしてから、会社を退職して翻訳に専念することに決めた中井川さんは、アメリカの児童文学専門書店に通い詰めた。書店スタッフと仲良くなり、良い本が入ると声をかけてもらったり、販売前の本の情報をもらうまでになっていたそうだ。

彼女が翻訳を始めた2000年代当時、海外在住で日本の出版社と新しい関係を築いていくのはなかなか難しかった。そこで中井川さんは、アメリカで最新の児童書情報を仕入れ、日本にいる友人の翻訳家に出版社とのやりとりを任せてと役割分担をすることで翻訳家人生をスタートすることにした。

「それ以来、出版社からの依頼で翻訳したり、自分で見つけた本を提案して翻訳させてもらったりしています。ただ、わたしが良いと思って持ち込んだ本の中から、出版が実現したのはほんの一部。テーマが合わない、日本人の子どもに受けそうにないなど、断られることも多いです。採用されなかった本が、アメリカで人気が出たために、後に翻訳できるようになった、なんてこともありましたね」

対象年齢が低い本は、日本人の子どもがわかりやすいように意訳することが多い。たとえば「ABCD」の語呂合わせは「あいうえお」に変えると小さい子にはなじみやすい。しかし、対象年齢が高くなればなるほど、原文のニュアンスを残す割合を増やしていく。アメリカ南部の「グリッツ」を「とうもろこしのおかゆ」と変えるのか、注釈をつけて「グリッツ」と書くのか、「おかゆ」とまとめるのか。そのさじ加減や、現代の子どもにとって自然な言葉づかいで翻訳するのがとても難しいと中井川さんは語る。

最近は翻訳する本の対象年齢も上がり、一般書も翻訳するように。写真の本は、最近翻訳した本の一部。

日本と香港を絵本でつなぐ

香港人の夫の転職に伴い、2010年に香港へ移住。縁があって知り合ったのが、香港人女性2人が手がける小さな出版社「木コットンツリー棉樹」だった。香港のあらゆる家庭の子どもたちに絵本を楽しんでもらいたいからと、本の価格をなるべく抑えるのがこの出版社のポリシー。中井川さんの案内で訪れてみると、本棚に陳列されている絵本は1冊38ドルのものが主流。香港の作家だけでなく、イランやフランスなど、海外の翻訳絵本がずらりと並んでいる。しかも、絵はアートのように素敵なものが多い。

「『質の高い絵本を手に取りやすい価格で』という2人の姿勢に共感して、わたしも日本の絵本の中国語版を出版する手伝いをするようになりました」

中井川さんの役割は、木棉樹と日本の出版社の橋渡しや、中国語の翻訳者に文中の日本語の意味をかみ砕いて説明すること。こうして木棉樹がはじめて翻訳出版した日本の絵本が長谷川集平さんの『はせがわくんきらいや』(復刊ドットコム)。森永ヒ素ミルク中毒の患者であるはせがわくんのことを、同級生である少年の目線で書いた話だ。

「中国でも、利益を優先した企業の粉ミルクによる健康被害がありました。この絵本からわたしたちが学べるものは大きいと思うのです」

木棉樹の編集長メロディーさんはやさしい笑顔で語った。

また、日・中・韓平和絵本として浜田桂子さんが執筆した絵本『へいわって どんなこと?』(童心社)の香港版を制作する際にも、中井川さんは木棉樹と日本側とのやりとりを任された。この本は、香港で優れた作品に贈られる「第13回 Hong Kong BOOKPRIZE」を受賞している。

日本語への翻訳だけでなく、日本の本を香港へ紹介する活動も行っている中井川さんに今後の夢をたずねると、「広東語だけでなく、香港の文化や歴史を自分なりに勉強してきました。英語書籍で香港を舞台とした小説など、香港ものを翻訳したいです!」と身を乗り出して答えた。

「翻訳作業って、本当に楽しくてやめられない。翻訳した本は、誰よりもわたしが深く読んでいると思っていますし、わが子のようなもの。自分の興味が尽きるまで、翻訳は続けていきたいですね」

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*Hong Kong LEI vol.45 掲載

WRITER書いた人

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