2022/06/03
数字からみる香港の風景 Emi in HK 第15回「プライマリー700校、48校と僕」前編
3年前、香港移住とともに始まった4歳長男のインターナショナルスクール受験。用意周到な計画も、日本とは違った香港の厳しい受験の壁が立ちはだかっていました。
香港の街、あちらこちらで見かけられるインター校のPRポスター。
涙の長男インター校受験後半戦。やっと舞い込んだ朗報。補欠合格のお知らせ。でも、よくよく学校に確認してみると「入学待ちの生徒さんが前に200人いらっしゃいます」とか、一体、それ何年後に入学の順番が回って来るんだよぅ! 慌てていくつか追加で申し込んだ学校見学(スクールツアー)。4歳長男のスクールツアーのつもりだったのに、「弟さん(当時1歳)のプライマリー受験を今、当校にアプライされても、3年後、インタビューにお呼びできるかどうか……ご妊娠中からご連絡いただく方々も多いので」と溜息しか出ない宣告を受け、次元の異なる香港の教育熱に圧倒されたり。
転入試験に落ち続け、ピリピリしていた空気が伝わったのか、「香港、全然面白くない」「日本に帰りたい」「火山が噴火して襲ってきたから、夢見たくない」と涙し、夜になると部屋の中をぐるぐる駆け回って睡魔と戦う4歳児。おむつはとっくに卒業していたのに、トイレを失敗してしまう日もありました。天真爛漫で社交的な子だったのに、かなりのストレスを感じていたのでしょう。夫と男2人で気分転換に出掛けた香港スペースミュージアム。「香港に来て、あの子、初めて『楽しい』って言ったんだ」夫がむせび泣き、それを聞いたわたしも一緒になって泣いたこともあったっけ。
緑の多い広い校庭。上級生の生徒さんがすれ違いざまに長男に見せてくれた明るく優しい微笑み。初めて訪れたときから好印象で、将来、この学校に通うことになるんじゃないかという予感がふっとした第一志望校。
そんななか、大都市香港にあって自然豊かで、のびのびとした校風に魅せられ、途中から第一志望に急浮上した学校。ご縁があったのでしょう。算数の口述試験、英語力の確認、体力テスト、2回にわたる面接を経て掴んだ合格のお知らせ。怒涛の1カ月。香港移住を見据え、日本で通わせていたインター保育園&幼稚園時代まで遡れば3年半。わたしたち三人四脚の戦いはようやく幕を閉じたのでした。
インター校48校中、結局、アプローチした学校は18校。アプリケーションを提出した学校は9校。インタビューまで辿り着いた学校は7校。うち、合格2校、補欠合格1校、不合格3校、他校に合格しアセスメントを途中辞退した学校1校。
時代も国もカリキュラムも異なるし当然かもしれないけれど、子どもの知識と成長にはハッとさせられっぱなし。学校でSDGsについて学んできた長男。母もアップデートせねば。
デモとコロナで様相が変わりつつある香港のインター校への編入は、現在、3年前とはまた異なる世界線が広がっているのだろうと思います。が、帰宅後「今日はクラスのグループ4の皆で船を作ったんだ」と話す長男に、班の男女構成比を尋ねたら「僕以外は女の子だけど、ジェンダー・イコーリティーでしょ。ママのその質問自体、間違ってるんだからね!」と鼻の穴を膨らませわたしを指導する7歳長男。その姿を見ていると、3年前の小さかった彼が受験に打ち勝ち、よくぞここまでと、温かいものが込み上げて来るのを感じるのです。
兄弟枠で(これまた香港インター校あるある謎ルール)昨年、インタビューもなく書類だけですんなり兄と同じ学校に入学を決めた次男。兄弟どちらの人生が幸せだったのかは分からないし、親として試行錯誤しているけれど、子どもたち自身が、将来なりたい自分に自分の力でなれるような力を身に付けられるよう、この先も2人に寄り添っていきたいと思います。
Emi in HK。多謝收睇。下次見!
サービスアパートメント時代のひとコマ。3年前、あの頃の小さかった僕(と弟とパパ)。
Emi
映像プロダクション会社勤務。大学院修了後、日本・東京商工会議所にて、中小企業の資金調達支援から政策立案時の省庁との折衝まで多岐にわたる業務に従事。15年半の勤務を経て2019年、夫の仕事の都合により来港。2020年から現職。夢は日本と香港の合作映画の製作に関わること。気分転換は25年振りに再開したピアノ。インター校に通う7歳、4歳、男児2人の母。
Twitter @emi_m_wang
E-mail emiinhkg@gmail.com
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