2025/04/28
私事なのだが、僕は新婚ほやほやなのである。ここで惚気ようと思ったが、なんと妻は新たな仕事を得てスイスのジュネーブに赴任してしまった。あっという間に新婚生活は終わりを告げたのである。その妻に会うため、イースター休み中、ジュネーブを訪れた。レマン湖とアルプスの山々に囲まれた静かで洗練された街だが、ジュネーブの人口は20万人。香港の750万人から比べると村のような規模である。澄んだ湖と雪を被り天まで聳え立つ山々はヴィクトリアハーバーと乱立する高層ビルに似ているような構造で全くの真逆の風景である。
ジュネーブの市街地から望むモンブラン
ローザンヌのボーリュ劇場から見えるアルプス
せっかくの機会なので電車で40分の距離にあるレマン湖の対岸にある同じような規模のローザンヌまで足を運び、ローザンヌを本拠地とするベジャールバレエのリハーサルを見学させてもらった。モーリス・ベジャールは20世紀を代表する振付家で1987年にローザンヌに拠点を移してから2007年に他界するまで多くの作品をローザンヌのスタジオで作り上げてきた。
短い滞在であったが、ダンサーの情熱やコーチのこだわりがひしひしと伝わってきた。なんとも言葉に表せない素晴らしい時間だった。
ところでベジャールの作品には静の瞬間が多々ある。しかもかなりのスローな動きだ。その一方で香港バレエの作品の多くは動の瞬間の連続で、一瞬たりとも静の動きはない。(香港バレエのモットーはNever Standing Still でもある。)
僕はこのスタイルの違いが街なみや街の文化に起因しているのではないかと考える。
ジュネーブやローザンヌの夜は静寂が響き渡る。厳しい冬はさらに人々を家に閉じ込め、家の中で1人になる時間を作る。そしてアルプスの壮大な自然は人間のちっぽけな存在を際立たせ、人間よりも偉大な存在に僕らは畏怖を感じるのだ。この自然界への畏怖に基づいた「崇高」と呼ばれる美学の概念がこのアルプスの周りでは発展し、バイロンやルソーが作品を発表し、あのフランケンシュタインもここで書かれた。(ホラーというジャンルがこのエリアで生まれたのだ。それは人間を超越した存在を身近に感じたからだろう。)静は常に人々の周りにあって、人間の生活は自然界のサイクルのように何も起きなかったり激しい動きがおきたりとそれぞれが交互に繰り返される。自然界に対する人間の謙虚さが、舞台空間や音楽に対して、あえて人間としてのダンサーは動かず、静寂にいるという選択肢を取ることを可能にするのだろう。
香港ヴィクトリアハーバーの夜景
それに対して香港の夜は忙しない。夜中3時でもいくつものアパートの灯りが窓から見える。騒音は人間の行動をアクティブにさせる。そもそも中国の小さな漁村だった香港を今あるメガポリスに人間の力で変えてきた。わたしたちが今この瞬間に何ができるかということを香港では常々問われる。時間を一分一秒でも有効に使わなくてはならないというプレッシャーを我々は受けるのだ。(香港人はせっかちなので空港でも一番に飛行機に乗りたがるのだろう。)それゆえに常に目を見張る動きと変化がないとメガポリスの住人の注目を集め続けられない。そして香港バレエの監督であるセプティムはアメリカ人である。アメリカも移民によって急速に成長し人為的に作り上げられた国であるので人間の力と今何をしてどう成長するかにフォーカスがあると言えるだろう。香港人やアメリカ人にとって何も起きないというのは衰退と同義でもあるのだ。
このような街の雰囲気の違いや、住む人々の作り出す文化がバレエのスタイルに違いを生み、そして観客の好みにも影響しているのではないだろうか。
バレエと一言で言っても、場所や時代によってもスタイルは違う。僕の踊りへの探究の道は果てしなく長いようだ。
高野陽年
立教大学中退後、2011年にロシアの名門ワガノワバレエアカデミーを卒業し、世界的振付家ナチョ・ドゥアトの指名を受け、外国人初の正団員としてロシア国立ミハイロフスキー劇場に入団。主にドゥアト作品で活躍した後、2014年に世界的バレリーナのニーナ・アナニアシヴィリに引き抜かれ、グルジア国立トビリシ・オペラ・バレエ劇場に移籍。ヨーロッパ、北米、日本を含めさまざまな劇場で主役を務めた。2021年より香港バレエ団に活動の拠点を移し、2024年には香港ダンス連盟より最優秀男性ダンサー賞を授与され、プリンシパルダンサーに昇格。さらに活躍の場を広げている。そして学園生活をとりもどすべく?イギリス公立オープン大学でビジネスマネージメントを専攻中。
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