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2026/09/03

街の大聖堂

「カラーン、ゴーン」と街で一番高い塔にある教会の鐘の音が聞こえる。しかもほぼ毎時間。そして、それを遮る騒音はほとんど聞こえない。乾いた空気に乗って街全体へ音が広がる。4階のアパートのバルコニーからは空模様がはっきりと見え、遮るのは赤茶色の瓦屋根くらいだ。広場に出ると、アーティストが野外パフォーマンスを開催し、街にはデザインが溢れている。それが有名作家のものか市場価値があるかどうかはさておき、パッションや、街の魅力をアートによって伝えようとする試みが感じられる。

 

アジアを代表する摩天楼が広がる香港では、騒音は日常の中に組み込まれていた。永遠に成長し続け、終わらない開発、渋滞で苛立つドライバー、はたまたバーの音楽、スーパーのバックグラウンドミュージック。23階から見る景色は隣のアパートの部屋か、夜中でも煌々と光り続ける電子広告の明かりだ。ショッピングモールには億の値段がつく作家の歪な置物が普通においてあった。

その香港から、フランス・アルザス地方のミュールーズという街に僕はたどり着いた。街として両極端にあると言えるだろう。香港バレエを退団し、新たな新天地となったのは、フランス国立ランオペラ劇場だ。フランスに4つある国立バレエ団の1つで、ストラスブール、コルマール、ミュールーズにあるオペラハウスで公演をするカンパニーだ。しかもフランス国立振付センターの本拠地としても機能し、フランス全土のダンスの新しいトレンドのエピセンターでもあるのだ。やはり4つのバレエ団の中でもパリオペラ座は別格扱いなのだが、地方にもフランスの文化活動の中心地を置くことで国全体の芸術振興を図ろうという試みは、芸術大国フランスの強さでもあるだろう。

さて、このバレエ団は振付センターの中心的存在ということもあって、新作の制作が多い。よって従来からある古典作品はパリに任せ、若い振付家や実験的な作品がレパートリーの大半を占める。香港バレエでは古典作品や誰にでもわかりやすいようなウケの良い作品がレパートリーのほとんどであった。ゆえに今までバレエを見たことのないお客さんが行きやすく、カラフルでポップな雰囲気で、よく言えば親しみやすく、悪く言えば商業的なバレエ団であった。ところがこのミュールーズのバレエカンパニーは、フランス人的に言えば「エクリチュール」があって観客を視覚だけで満足させるのではなく考えさせるような作品が多い。悪く言えば難解な作品だということだ。これは香港バレエがプライベートセクターであり、ビジネスとして成功させることを求められているのに対し、このバレエ団は国立であるため、ビジネスとしての成功は二の次で、フランスの文化芸術を背負い、発展させる使命があるという違いにも起因するだろう。ビジュアル的な派手さを街の至る所でも求められる香港とは違い、高校の卒業試験に哲学の科目があるフランスでは、作品をどう咀嚼して解釈するかとう習慣があるのでわかりやすすぎる作品は求められないのかもしれない。

僕は香港的カオスが大好きで、香港バレエの芸術の範疇から飛び出していこうとするエネルギーにも惹かれていた。香港バレエのスローガンに「never standing  still」とあるように、香港では立ち止まる瞬間がない。立ち止まろうものなら、たちまち街の変化に取り残されてしまう。ところがミュールーズの大聖堂は1200年代から場所が変わらず、夜の静けさは否応なしに立ち止まって自分と向き合う時間をもたらす。この何も起こっていない時間こそクリエイティビティには必要であったりするのも確かだ。

 

ダンサーとして円熟期に入った今、もう一度踊りとは何なのか、取り巻く環境や競争、スポンサー受けなどを一度考えずに純粋に踊りを深める重要な時間をもらったのかもしれない。

香港バレエの高野陽年が、これからどう変化していくのか自分でも楽しみだ。

アルザスの街並み

高野陽年

立教大学中退後、2011年にロシアの名門ワガノワバレエアカデミーを卒業し、世界的振付家ナチョ・ドゥアトの指名を受け、外国人初の正団員としてロシア国立ミハイロフスキー劇場に入団。主にドゥアト作品で活躍した後、2014年に世界的バレリーナのニーナ・アナニアシヴィリに引き抜かれ、グルジア国立トビリシ・オペラ・バレエ劇場に移籍。ヨーロッパ、北米、日本を含めさまざまな劇場で主役を務めた。2021年より香港バレエ団に活動の拠点を移し、2024年には香港ダンス連盟より最優秀男性ダンサー賞を授与され、プリンシパルダンサーに昇格。さらに活躍の場を広げている。2026年夏に香港バレエを離れ、フランスのダンスシーンを牽引する国立振付センター・ラン劇場バレエに入団。そして学園生活をとりもどすべく?イギリス公立オープン大学でビジネスマネージメントを専攻中


高野陽年さんは本コラムをもって香港を去りますが、連載は隔月で継続されます! 公開日は、奇数月の3日です。新天地での彼の新たな冒険と活躍を、どうぞお楽しみに! (編集部より)

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