2026/11/03


金曜日の夜、劇場近くのワインバーで同僚たちと飲んでいた。ここでもやはりトピックになるのはデモについて。現在のフランスでは毎週土曜日にデモが行われている。ダンサーの中の一人もデモに合流する予定だと言っていた。
彼に少し話を聞いてみると、国立劇場のダンサーとして少なからず安定した給料を好きな仕事で得て、最高のパートナーにも巡り合い、一見何不自由ない生活を送っていて、自身は恵まれていると認識している。しかし、彼を苦しめているのは「これほど恵まれているのに、それでも何か満たされない、不満を抱いてしまう自分」の存在だった。世界には明日の生活にすら本当に困窮している人々が多くいるというのに、自分はまだ満たされようとしている。その己の強欲さと、現実の弱者との落差に対する「罪悪感」こそが、彼がデモに参加する最大の原動力なのだ。他にもBloombergの動画を見ていると、デモに参加しているフランスの大学生自身が、現在の制度では恵まれた家庭の子弟しか大学や大学院で学ぶことができないと糾弾し、変革を求める声を上げなくてはならないと語っていた。さらにフランスでは、シニア世代の年金カットや受給先送りに対して、まだ当事者ではないはずの現役世代や学生が最前線に立ち、ストライキやデモを行う。
なぜ彼らは、自分が直接の不利益を被るわけでもないのに、あるいは自分が恩恵を受けているシステムに対して、弱者側に立って一石を投じるのか。もし仮に同じ状況が日本であったとして、僕は同じように声を上げられるだろうか? 答えはノーだ。
ルース・ベネディクト*は、社会を動かす行動原理の根底にある文化的差異として、西洋を「罪の文化」、東洋を「恥の文化」だと定義した。「罪の文化」においての判断基準は神=道徳であり、現在のコンテクストに言い換えるなら「自分自身の内なる良心」である一方、「恥の文化」においては世間の目や自分の身の丈が判断基準となる。
罪の意識を原動力に、恵まれた若者や現役世代が社会的弱者を代弁する行為の根底には、特権を手放さずに罪悪感を解消したいというエゴがあり、それは本質的に自己満足と「自分は良心的人間である」という自己肯定感の獲得につながるのだ。ヨーロッパ社会に根付く「ノブレス・オブリージュ」**という精神も、決してただの善意ではなく、自分が特権を享受しているという原罪的な意識から、社会に貢献しなくてはならないという強迫観念が生み出したものだろう。
そしてフランス社会は、この行為が自己の救済という欺瞞であることを暗黙のうちに受け入れている。動機が欺瞞的エゴに基づくものであっても、結果として連帯となり、不平等な社会構造を変える力になり得ることを知っているからだ。むしろエゴであるということが分かっていても、欺瞞ではないかという他人の目を気にして声を上げない方が、自らの良心に対する重い「罪」なのである。
ところが日本において、恵まれた者が弱者のために声を上げようとする時、この自己満足への嗅覚が最大の障壁となる。高みからの発言は、世間から「良い人だと思われたいだけの自己満足で、偽善でしかない」という冷笑を浴びる。年金問題においても「なぜ私たちがシニア世代の負担ばかりしなくてはいけないのか」と、世代間対立へと繋がりやすい。
日本社会には「本当の弱者の立場にいないにも関わらず、弱者のふりをして代弁することは偽善である。ならば、まず持っている特権を全て捨ててから語れ」というある種の潔癖な同調圧力が存在する。ブッダが全てを捨てて仏門の道へ入ったように、出家などで世俗から離れることでやっと弱者の立場を語ることができるといった価値観が美徳とされる。だからこそ日本人は、自身の中にある自己満足のための行動ではないかというエゴを見透かされることに非常にセンシティブで、耐え難い恥を感じるのだ。特権階級にある者は、自己満足の偽善者という恥を世間から浴びせられるくらいなら、内心で罪悪感を感じていても沈黙を選択する。
もちろん、デモを行う人の中には、毎日の食べ物に困り、本当に心から救済を欲している人もいる。しかし、デモがフランスのナショナルスポーツだと言われるように、多くの人々はデモが終われば比較的安定した毎日を過ごしているだろう。にもかかわらず毎週のようにくべられる火の熱量は、特権への罪悪感から出発した個人的な自己満足を、社会システムの変革に昇華させるダイナミズムでもあると言えるのではないか。
*ルース・ベネディクト(Ruth Benedict, 1887年–1948年)
アメリカの女性文化人類学者・歌人。20世紀半ばのアメリカ文化人類学を代表する重要人物の一人。
**ノブレス・オブリージュとは、フランス語の「Noblesse(高貴さ、貴族)」と「Oblige(義務付ける)」を合わせた言葉で、「高い社会的地位や権力、財産を持つ者は、それに応じた重い社会的責任や道徳的義務を負う」という道徳的格言・精神的規範のこと。ヨーロッパの中世貴族社会において、「特権を受け取る代わりに、有事の際には率先して前線で戦い、民を守る」という契約的責任や思想が歴史的な背景として存在する。

高野陽年
立教大学中退後、2011年にロシアの名門ワガノワバレエアカデミーを卒業し、世界的振付家ナチョ・ドゥアトの指名を受け、外国人初の正団員としてロシア国立ミハイロフスキー劇場に入団。主にドゥアト作品で活躍した後、2014年に世界的バレリーナのニーナ・アナニアシヴィリに引き抜かれ、グルジア国立トビリシ・オペラ・バレエ劇場に移籍。ヨーロッパ、北米、日本を含めさまざまな劇場で主役を務めた。2021年より香港バレエ団に活動の拠点を移し、2024年には香港ダンス連盟より最優秀男性ダンサー賞を授与され、プリンシパルダンサーに昇格。さらに活躍の場を広げている。2026年夏に香港バレエを離れ、フランスのダンスシーンを牽引する国立振付センター・ラン劇場バレエに入団。そして学園生活をとりもどすべく?イギリス公立オープン大学でビジネスマネージメントを専攻中。
高野陽年さんは本コラムをもって香港を去りますが、連載は隔月で継続されます! 公開日は、奇数月の3日です。新天地での彼の新たな冒険と活躍を、どうぞお楽しみに! (編集部より)
前回のコラムはこちら
今日も僕は踊り続ける ~バレエダンサーの日常~ 第16回 香港からフランス、アルザスへ。ダンサーとしてのさらなる修行へ。
陽年さんのコラムはこちらで全てお読みいただけます。
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