2024/10/14
8月のお話ですが、香港で毎年開催される茶業展示会「香港インターナショナルティーフェア」に行ってきました。コンベンションセンターの入り口までは大変混み合っていましたが、家電や美容関係の展示会も同時に開かれており、大半の人はそちらへ向かい、お茶の展示場は賑わって・・・いません。深圳でも大きな展示会があるからなのか、ビジネス事情なのか、少し残念ですね。
さあ展示会へ
香港ティーフェアとは
さて、その展示会ですが、中国本土を中心に、世界各国からお茶業者が集まり、茶葉やお茶周辺製品を展示販売する、バイヤーとサプライヤーのビジネスマッチングの場で、お茶の情報や文化のセミナーやワークショップも開かれます。中国茶が大半ですが、スリランカ、韓国、ケニアや南アフリカの各国のお茶も出展されます。会場を回っていると、試飲を勧められますが、テーブルで茶器で淹れてくれるところもあれば、紙コップで冷めてしまった作り置きのものをくれるところ、さまざまです。今年は「宋代点茶」のプレゼンテーションがあるということで行ってみることにしました。
メインはもちろん中国茶
宋代点茶とは
紀元前2700年ごろまで遡ると言われる中国のお茶の歴史ですが、隋の時代までは他のものと一緒に煮出した薬草スープのイメージだったようです。
唐の時代には、茶葉を蒸してから固め、乾燥させた固形茶である「餅茶」を作り、飲むときはそれを砕いて粉末にし、煮出して飲むのが主流でした(固めない散茶もあり)。この時代にはお茶の栽培や製造技術が進み、価格も下がったことから、庶民もお茶を飲んでいたそうです。茶館ができたのも唐の時代からだそうです。
これが宋の時代になると、「餅茶」よりさらに細かい粉末にされた「末茶」が登場しました。この末茶を竹の茶筅で泡立てる「点茶法」が広がりました。この末茶は高価で上流階級や僧侶の間で消費されており、鎌倉時代に「喫茶養生記」を書いた僧栄西が宋から日本へ持ち帰ったお茶は、この末茶でした。そしてそれが日本の抹茶の原型になったというわけです。
中国茶以外もあります
民族衣装で各地のお茶をアピール
ティーフェアに話を戻しますが、「宋代点茶」のプレゼンテーション、茶葉研究所や茶業技術学校を設立し、専門家を多く育成、点茶技術の復興と普及に力を入れている、福建省の茶文化専門家、项文懿氏によるものでした。こんな方の監修の点茶を飲むことができるチャンス、これは行かないわけにはいきません。
项氏とスタッフが茶筅でお茶を泡立てているなか、スクリーンでは点茶の歴史や概要が流れていました。当時の北苑(今の福建省建甌市)には、皇室に献上するお茶を製造する「貢茶院」があり、最高品質、精巧な技術で、龍や鳳凰を彫刻した型に圧縮された「龍鳳団茶」が作られていました。点てた泡の上に絵や字を描く「茶百戯」は、ラテアートより約1000年早く中国で流行っていたようです。ただ多くの中国の人は、点茶を見ても日本の茶道だと思うそうです。
再現された龍鳳団茶
スクリーンの解説が2回は繰り返される時間をかけて、お茶が点てられていました。项氏自らスプーンで泡をすくい、みんなに紙コップで配ってくれて試飲タイムです。結構しっかりした泡で、スプーンがなく、みんなコップを逆さにしてなんとか飲もうとしていました。
しっかりとした泡でした
廃れた末茶、残った抹茶
日本ではずっと抹茶として存続したこの末茶ですが、本家中国では次の明の時代以降、すっかり廃れていってしまいました。その詳しい経緯を聞いてみると、「一言で言えばコスパが悪かったからね。それに王朝が変わると流行も変わるものよ」。
明の洪武帝は、労力もコストもかかり、民に負担がかかるということで団茶を禁止し、また香りや風味をより一層引き出すことのできる釜炒りの製茶法が考案され、茶葉をそのまま使う「散茶」を茶壺に入れ、お湯を注ぐスタイルへと変わっていったのです。
当時は高く評価されていたという点茶。正直その味わいはわたしにはよく分かりませんでしたが、普段会えない専門家やスタッフと直接お話しでき、隣にいた人と意気投合してディナーをご一緒するという、大満足な1日でした。
Chikako
トロント、NY、シンガポール、今は香港に在住。
各地のライフスタイルや食文化にインスパイアされた器を製作してきた。
香港では中国茶器を楽しくコツコツ製作。
お茶のワークショップも不定期に活動中。
IG : cnycstudio
お茶のワークショップIG : sound_and_tea_room
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