2024/11/20
「Hong Kong LEI – Cover Story」は、香港で輝いている人をご紹介するシリーズ企画です。当記事は、健康と食の安全をお届けする Tasting Table Japan Premium より当企画への賛同と協賛をいただき制作しています。
学術研究に一生コミットし続けます
聞き手:小林杏
編集:深川美保
〈目次〉
〈アジア、中国経済に目を向けた学生時代〉
〈香港貿易発展局での仕事を研究の糧に〉
〈学術研究に限りない熱意を持って〉
〈古田さんに3つの質問〉
〈アジア、中国経済に目を向けた学生時代〉
香港で、日本語や日本文化をより多くの人に知ってもらうための活動を行っている香港日本文化協会。現在そこで理事を務めるのが古田茂美さんだ。
もとは1982年から30年以上に渡り香港政府系機関である香港貿易発展局に勤め、香港と主に日本との貿易促進に尽くしてきた。日本主席代表も務めた長年の功績は2017年在香港総領事長表彰を受けたほどだ。加えて彼女にはもう一つの顔がある。それは在職中も中国・香港の経済、経営、国際関係に関しての学術研究に携わり続け、論文や著作を発表するというバイタリティ溢れる学者としての顔だ。
自身が立ち上げた「港日商務研究中心」のオフィスにて
経済に興味をもったきっかけは「南北問題」。自身が学生の頃は、学園紛争が収束し、多くの学生が「南北問題」に関心を寄せていた時代だったのだという。「先進国と途上国の間にある政治経済の格差を見て、これではいかん!ってわたしのような血気盛んな学生達が思っていたわね」と古田さんは言う。
日本の高校を卒業しアメリカの大学に進学した。「そこで“Jap”って差別語を投げつけられて、自分はアジア人だと強烈に思い、アジアに目を向けるようになりました。そこから、70年代当時、欧米の支援を得ず独自開発を試みる中国に興味を持ちました」。
アメリカでの2年を終える頃、『アジアの民族主義と経済発展(1962)』の著者でアジア経済に詳しかった板垣與一教授の存在を知り「先生を探して教えを乞いに行きました」という。帰国し、板垣ゼミのある亜細亜大学3年に編入、卒業後も「先生の近くで研究を続けたくて」地理的に近い国際基督教大学大学院に進んだ。
中国経済への興味から中国語も学び北京への留学を希望していたが、交換留学の選抜で受かった先は香港だった。「香港なんて全く興味なかったの!広東語もできなかったし」と現在、広東語を自在に操る彼女から意外な言葉が飛び出した。「でも、中国経済に関して香港で学べることがたくさんあると言われて来ました」。
1981年 香港中文大学に交換留学時代
〈香港貿易発展局での仕事を研究の糧に〉
英国領だった香港で留学生活をしていた1982年のある日、古田さんは鹿児島県知事レセプションでの英語通訳を頼まれ出席した。折しも時代は香港が貿易相手として日本に目を向け始めた頃で、彼女はその場で香港貿易発展局からスカウトされた。「日本じゃ学位持ちの女性にあまり仕事がなかった時代、提示された修士卒のお給料が良くてびっくりしました」と言う。
準政府機関として、香港の貿易拡大をサポートするのが、香港貿易発展局での仕事だ。30年のキャリアの中で古田さんは香港と日本を行き来し、それぞれの時代で様々な経験をした。今では考えられないが、入局当初の香港は繊維業が盛んで、新人の古田さんは長沙湾の縫製工場を回り、衣料についても多くを勉強した。
1987年、西武有楽町店の香港フェアにに香港物産宣伝大使として参加してくれたジャッキー・チェンと共に(右が古田さん)
1985年、東京にある日本事務所へ異動し「市場開拓部長」となると、“若い女性なのに部長だなんて”とテレビ局から取材を申込まれ、日本は遅れていると改めて感じた。彼女の提案が採用され、日本の百貨店での香港製品プロモーションにジャッキー・チェンとアグネス・チャンが来たこともある。
長く香港貿易発展局に勤めた古田さんだが、実は就職については当初迷いがあったという。学術研究を続けたいという気持ちが強かったからだ。しかし彼女は仕事によって「制約される時間」を、逆に「研究に活かす実務経験の時間」という強みに変えた。「現場では多くの実例を目にましたし、企業データも手元にありました。香港貿易発展局にいたことは研究において大きなメリットとなりましたね」と古田さんは言う。
〈学術研究に限りない熱意を持って〉
在職中に経営学修士号や国際関係学博士号も修めた。「なぜ香港企業が世界の中でいち早く中国に入り成功したのかを知るため、香港企業、中国企業、その背後にある中華圏の歴史や文化など研究しました」と古田さん。「その中で、日本企業が中国と直にビジネスをするより、香港というパートナーを通した方が、経営リスクが減るということもデータで出てきました。香港貿易発展局にも喜んでもらえる結果ですね」と笑う。
学者として教壇に立つことも好きだと言う。自身の研究について分かち合う喜びがあるのだろう。「北九州大学で教えていた時は、東京から2週間に一回通ってました。社会人向けに土日集中でやりますから、仕事に差し障りはなかったですよ」と話す。「好き」の一言では言い尽くせないほどの熱意ゆえ、週末をも学術に捧げるのだろう。古田さんの研究は中国でも関心をもたれ、退局後は、広州の中山大学や、マカオ大学でも教えた。
2019年 九州大学大学院で『中国商務文化』についての講義をする古田さん
現在の彼女の研究テーマは老舗学。中国から見た日本長寿企業の姿を紹介した、李新春著の『日本100年老店』の日本語訳は古田さんが担当した。「わたしはずっと中国のことをやってきていますし、将来どうなっていくかにも興味があります。今は中国の研究者たちが、事業を長く続けることの大切さに注目していて、日本の老舗経営に興味があるというので、一緒に研究しています」と言う。
在職中、家族が離れて暮らすことの多かった古田さんは、現在、家族のいる香港に住居を定め、2022年には「港日商務研究中心」を設立した。「研究団体として、ここで論文の発表や書物の出版をしたり、日中港の貿易や経済・経営に関しての講座を開催したいと思っています」と今後の展望を語る。
そして彼女は最後に「わたしは学術研究に『終身雇用』、つまり一生コミットし続けますね」と言い、大きな笑みを輝かせた。
2023年11月、香港にて。香港市民へ向け広東語で老舗講座を受け持つ古田さん
〈古田さんに3つの質問〉
Q1 香港のお料理とお菓子で好きなものを教えてください
インタビューでこんなこと聞かれたの始めてですね(笑)!叉焼ご飯かしらね、あの、はちみつたっぷりの。あれは中国で食べても日本で食べてもダメ、香港がやっぱりいいでしょう?お菓子は紅い色の棗の餡の月餅ですね。
Q2 お好きな香港映画、そして俳優は?
すごく普通だけど『インファナル・アフェア』です。だから好きな俳優は、(悪役だった)アンディ・ラウじゃなくてトニー・レオンの方になりますね。
Q3 休暇の過ごし方は?
自分の研究関連の本を読んでいると落ち着きますねぇ。遊んだり旅行したりもするけれど、そこに幸福感をあまり感じない(笑)。
ご家族と一緒に
Hong Kong LEI (ホンコン・レイ) は、香港の生活をもっと楽しくする女性や家族向けライフスタイルマガジンです。
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