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2025/09/20

Instagram:
國澤さん https://www.instagram.com/harunakunisawa/
ダンススタジオBeDrex https://www.instagram.com/bedrex_dance/

聞き手:紅磡リンダ
編集:野津山美久


〈目次〉

〈猪突猛進、自ら人生を切り開く〉
〈切り開けない試練〉
〈やり切ったから、納得!〉
〈國澤さんに3つの質問〉


〈猪突猛進、自ら人生を切り開く〉

ダンススタジオ経営者兼ダンスアーティストの國澤はるなさんは、現在の生活を「幸せです」と言ってはばからない。それもそのはず、彼女は恵まれたルックス、幸せな家庭、成功しているキャリア。世の中の人が求めるものを、全て持っているのだ。その秘訣はなんだろう。

「猪突猛進って、よく言われます。」

笑顔を絶やさない國澤さんは、朗らかに、自らを表現するキーワードを教えてくれた。常に目標を持ち、それに向かって突進するのだという。最初の猪突猛進ターゲットは、海外でダンサーとして活躍すること。8歳でバレエを始め、その後ジャズダンスに転向。ダンスは変われど、一貫して海外を目指した。「こうしたいって思ったら脳がそればかり考えちゃうんです」という彼女は、海外に出るべく、知恵と行動力をフル活用。ひとまず日本の大学に入学、その後交換留学生としてアメリカに渡る、という長期プランを立て、実行に移した。留学先はアメリカのオレゴン州だったが、現地でダンサーを目指すのならばニューヨークかLAに行くのは必須と知り、大学と掛け合い休学、続いてニューヨークの学校に移籍という手続きを取った。こうした紆余曲折を経て、國澤さんはアメリカでダンスに邁進する生活を手に入れた。単発のテレビコマーシャルやミュージシャンのMVなどの仕事をしながら大きなチャンスを待った。

バレリーナを目指していた時代。左)国立ロシアバレエ団のプリンシパルも務めた佐々木大さんと共に

数年後、ついに夢が叶う機会が到来した。アメリカのヒットチャート常連の、大御所アーティストのダンサーとして抜擢されたのだ。しかし、この仕事を受けた場合、アーティストに気に入られて声をかけられてしまったら、ガールフレンドにならなくてはならないという暗黙の決まりがあることを知り、彼女は頭を抱えた。
実はこの頃、現在の夫である香港人ダンサーのケニーさんと、遠距離交際を始めたばかりだった。しかも、ケニーさんの所属する会社が國澤さんをスカウトしていたのだ。この会社は毎年アメリカに視察に行き、その際に國澤さんを見初めていた。

「『君、年を追うごとに、すごくうまくなっているね。あまりに輝いているから去年は声を掛けられなかったけど、今年は声を掛けないと後悔すると思って』と言って香港に呼んでくれたんです。数年にわたって見て、覚えてくれていたのが嬉しかったですね。大物アーティストからのオファーは、アメリカンドリームに終止符を打つ最後のダメ押しだと思ったんです。このオファーは受けられない。アメリカではもうやり切ったと思ったんです」

國澤さんは、新天地、香港で次の華を咲かせようと心に誓った。

アメリカでプロダンサーになるチャンスをうかがっていた時代。左)米歌手ジェニファー・ロペスのバックダンサーを務めていた頃のジャメイン・ブラウンさん。現在は振付師として世界で活躍している。

〈切り開けない試練〉

香港では日本人であるということがポジティブに働いた。ダンスの世界では日本人ダンス講師は人気が高く、日本人のスキルを求めて日本にダンス留学をする人も多いのだという。その上國澤さんはアメリカ帰りだ。

「わたし、ただの日本人じゃないんです。本場ニューヨークで学んで、香港に直送されてきた日本人なんです(笑)」

他の日本人ダンサーと違い、英語でレッスンができるという点も、強みとなった。日本まで行かなくても日本と同様の、いや、本場アメリカの、クオリティーの高いレッスンが英語で受けられると評判になり、國澤さんのレッスンは常に満席になるほど人気になった。
香港に居を移して9年後に、交際を続けてきたケニーさんと結婚。共同でダンススタジオの経営も始めた。ケニーさんは大物ミュージシャンなどのダンスを担当する振付師として活躍しつつ、スタジオの実務を担当。國澤さんもダンススタジオを軌道に乗せるべく、スタジオの経営と同時進行で夫が担当した振り付けのダンサーとしてステージに立ったり、振り付けアシスタントを務めたりと、がむしゃらに働いた。また、國澤さんは、ダンス講師を見極める目も的確だった。國澤さんのスタジオで働いた講師の中には、デビュー前の、今を時めく超ビッグアイドルもいた。

試練がやってきたのはスタジオ経営を軌道に乗せ、子どもを持ちたいと思った時だった。「体はいたって健康だし、欲しいと思ったらできると思っていた」が、なかなか妊娠できなかった。漢方、タイミング療法、体外受精(IVF)まで、可能な治療は全て試した。流産も経験した。
悲しみに暮れる國澤さんに追い打ちをかけるように、香港ではデモが勃発、続いてコロナ禍が影を落とした。

「スタジオは閉鎖を余儀なくされ、夫の仕事もキャンセル。収入が完全に断たれました。」

不妊と流産で負った心の傷に、金銭的不安、先行きの暗さが加わり、心が沈む日々が続いた。不妊治療も3年半続けた後、「自分は子どもを持つ人生ではないんだ」と、やめることにした。

 

〈やり切ったから、納得!〉

次々と降りかかってきた困難を、國澤さんはケニーさんとふたりで、力を合わせて乗り切った。スタジオオリジナルのシャツやマスクを作って寄付金を募ったり、スタジオを時間貸しして収入を得たり、家賃交渉や助成金の申請など、お互いにできることを精一杯やった。

「ふたりでその時できること全て手を尽くそうと、常に動いてました。一生懸命がむしゃらにやって、気づいたら、乗り切ってましたね」

2022年、コロナの規制も緩み始め、夫婦を取り巻いていた厳しい状況は徐々に好転し始める。スタジオを開け、レッスンが再開できるようになったのだ。
さらに嬉しいニュースは続いた。子どもを持つことを諦めていた國澤さんが、自然妊娠したのだ。現在、國澤さんは2歳の男児を育てるママである。

息子の悠真くんのお宮参り

今、子育てと仕事を両立させている國澤さんだが、息子と過ごす時間を大切にしたいと、ヘルパーさんは雇っていない。結果、「ダンススタジオの掻き入れ時間」とも言える時間帯のレッスンを断ることもあるという。

「葛藤は全くないです。ダンサーとしてやり切って、不妊治療もやり切って、やりたいことは全部やったから、納得してるんです。だから今は、日中はやりたいことやるけど、それ以外の時間は全部、息子に使いたいんです」

國澤さんが出した仕事と子育ての両立の回答は、「(やりたい事を)やり切ること」。自分の夢を叶えるべく、突き進んできた彼女だからこその言葉だ。今は息子に猛進中の國澤さん、ママとしての笑顔もキラキラと輝いている。

夫と共同経営するダンススタジオの10周年記念。日本からお祝いにやってきたご家族と共に

〈國澤さんに3つの質問〉

Q1 落ち込んだときなど、気持ちの切り替えはどうしていますか?

本屋にいって、タイトルが気に入った本を選んで読んだりします。じっくり読み込むということはないんですが。本の中に見つけたポジティブな言葉を場面場面で復唱してみたり。あと、体を動かします。踊る気分にならなくても、スタジオに来て踊ったら楽しくなったりするので。

 

Q2 忙しい一日、スケジュールはどう割り振っていますか?

朝起きて、まず朝食を必ず手作りします。朝の卵は必須です。午前中は夫に子どもを任せて、自分はレッスン。お昼はランチを作って、それから子どもとお散歩、買い物。体力を消耗してもらうように、一杯動いてもらって(笑)。その後、6時ごろに夕食スタート、お風呂や読み聞かせをして、子どもが寝付いた夜9時半ぐらいからMe Timeという名の、会社の事務系お仕事タイムです。就寝は12時半頃、そんな毎日です。

 

Q3 今までで、一番印象的なお仕事は何ですか?

昔、ディズニーキャラクターと一緒に踊る、という仕事をしたんです。今、子どもがそのキャラクターに夢中で、「ママは一緒に踊ったことがあるんだよ」ってその動画を見せたら、本当に驚いていました。撮影の時はまさか自分の子どもにその仕事を自慢する日が来るなんて思ってもみませんでした。

 

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