2025/12/20

香港バレエ団:https://www.hkballet.com/en/
聞き手:小林杏
編集:野津山美久
〈目次〉
〈身体は雄弁である、という実体験〉
〈僕もロイヤル・バレエ学校に入りたいです〉
〈香港バレエ団らしい作品を、世界へ〉
〈江上さんに3つの質問〉
〈身体は雄弁である、という実体験〉
師走。ヴィクトリア・ハーバーの目の前にある香港文化センターの練習室では、香港バレエ団による『くるみ割り人形』のリハーサルが行われている。音楽に合わせて、鏡を見ながら、真剣に踊るダンサー達。そのダンサー達の前方で、一人一人の動き、また全体としての動きを注意深く見つめ、時に注意や指示を出す人がいる。バレエ・マスターの江上悠さんだ。
香港バレエ団『くるみ割り人形』のリハーサルにて。ダンサー達の動きを注意深く見つめる江上さん。
バレエをはじめたのは7歳の時。最初は、姉のレッスンをガラス越しに眺めていただけだが、そのうちに「面白そうだな」と、自分も参加するようになった。
「バレエが月、水、金で、少年野球が火、木、土、日。とにかく身体を動かしている小学生でしたね」
運動が得意だった江上さんは、小学校5年生の時、父の仕事の都合で、英国オックスフォードに1年間滞在することとなる。現地校に通うも、最初は英語も拙く、右も左もわからない。でも、自身の飛び抜けた「運動神経」が彼を救った。
「徒競争の時、ぶっちぎり一番でゴールしたら、もう人気者です。野球をしていたから、ボール遊びも得意だったし。身体能力が、僕の言葉の不完全さを補ってくれました」
オックスフォードでの小学生時代。前列中央にいる江上さん。運動でも人気者になったが、折り紙でもみんなに喜ばれたという。
また、舞台芸術が好きな母が、ロンドンでの様々な公演に連れて行ってくれた。
「言葉がわからない人間にも伝わる。言葉を発しなくても、身体、表情、目線で伝えられる。そういう舞台芸術の世界に惹かれていきましたね」
学校で、また舞台鑑賞で、感覚的に「身体は雄弁である」と悟ったという。言葉に頼らずとも、身体によって自己を表現できることの喜びを実感したのだ。この経験が、江上さんがバレエの道へ進む大きな後押しとなった。
帰国後はバレエ一本に絞った。中学校では、「受験勉強のためにバレエの時間が削られることがないように」と、勉学に勤しみ、進学高校へ推薦入学を果たした。
〈僕もロイヤル・バレエ学校に入りたいです〉
高校1年生の時、雑誌『ダンスマガジン』の中に、英国ロイヤル・バレエ学校夏期講習の広告を見つけた。オックスフォードを離れた時から、いつか戻りたいと思っていた英国だ。審査のためのビデオを送ると、合格。2週間の夏期講習を受けた。
そして、この講習が終わった時、江上さんの目の前には、進みたい道がはっきりと見えた。
「僕もロイヤル・バレエ学校に入りたいです」
担当の先生にそう申し出ると、翌年、入学資格を満たす16歳になってから最終オーディションを受けるようにと言われる。世界に名を轟かす名門、英国ロイヤル・バレエ学校。高い倍率を突破し、江上さんは入学を果たした。
学校は厳しく「この子はプロにはなれない」と判断されれば、途中で退学もありうるという。でも江上さんは幸せだった。「パ・ド・ドゥ、キャラクターダンス等、様々なダンスを朝から晩まで踊りっぱなしです。でも、全部が自分の将来に必要なものだと思えたから、すごく楽しくて。全吸収しました」。
英国ロイヤル・バレエ学校時代、公演後のグループ写真。後列中央付近にいるのが江上さん。
バレエ学校時代は、当バレエ団に在籍していたダンサー、蔵健太氏や、伝説のプリンシパル、熊川哲也氏や吉田都氏と同じ舞台を踏む経験を得た。英国で日本人の活躍を間近で見ていた江上さんが、3年間の留学を終えた後も、欧州に残りたいと思ったのは自然なことだろう。
でも、日本人である自分が属する「外国人枠」には空きがない。就職が難航し、焦る江上さんに、香港バレエ団からオファーが届いた。
欧州への未練がないと言えば嘘になる。でも仕事は仕事だ、と心を決めた。
2002年、19歳で香港バレエ団にダンサーとして入団。テクニカルな動きを得意としていた江上さんは、表現力を磨き、演劇性の高い役も任されるようになっていく。その後、多くの作品を知り尽くしたことで、他のダンサー達に振りを教えるレペティターへ昇格し、そしてアシスタント・バレエ・マスターを経て、2019年からは現職のバレエ・マスターに就いている。23年という勤続年数に「こんなに長くなるとは思わなかった!」と自分でも少し驚いているという。
香港バレエ団『シンデレラ』で道化役を踊る江上さん。Photo by Conrado Dyliacco
江上さんは現在、リハーサルでの振渡しや指導に加え、朝のトレーニング指導も担当する。約50人いるダンサー達の国籍は、中国をはじめ、アジア、欧州など多岐にわたるので、常に「わかりやすさ」を心がけ、言葉を選び、身振りを交えるという。「基本は英語ですけど、褒め言葉を、例えば中国語にしてみたり。息が詰まることのないようにね」と彼らへの配慮も怠らない。ダンサー一人一人の「次へのステップ」を知り尽くし、「バレエとして正しい動き」を、ランクに関係なく平等にきちんと伝える。
〈香港バレエ団らしい作品を、世界へ〉
江上さんは、香港バレエ団歴代芸術監督や香港の著名振付家、ユーリ・ン(伍宇烈)氏から見出された振付家としての才能も持ち合わせている。現在香港バレエ団の専属振付家であるリッキー・フー(胡頌威)氏との共同制作『ボレロ』(2015)は、最優秀群舞作品賞、『春の祭典』(2019)は、最優秀振付賞を香港舞踊連盟より受賞した。
入団3年目の2005年、香港バレエ団のスペインツアー。劇場の前で集合写真。前列中央でしゃがんでいる江上さん。
そして、振付の仕事は、作曲家、デザイナーなど、バレエ団以外の仲間も増やしてくれた。「香港が僕にとって一番安心できる場所だと思うのは、多くの友情を香港で培ったから」と江上さんは言う。
最後に、これからの話を聞くと、それまでは穏やかに話をしていた彼が、熱を帯びてこう言った。
「香港バレエ団『The Butterfly Lovers』(日本題:梁山伯と祝英台)のニューヨーク公演、スタンディング・オベーションを受けたんです! 香港で共に振付をしてきたリッキーの、中国民話を基にした作品が、リンカーン・センターという世界的な舞台で高い評価を得たことは、長くいる僕にとって、トップの経験だったんです。だから、これからも、ああいう経験ができたらいいな、って」
2025年8月にニューヨークのリンカーン・センターで行われた香港バレエ団による『The Butterfly Lovers』の公演は大成功を収めた。
23年前、香港へ来ることには正直、消極的だった。でも今は、香港に自分の居場所があり、夢を問われれば、一番に香港バレエ団の成功を口にする。なぜなら江上さんにとって、香港バレエ団の成功が何よりも誇らしいことだからだろう。
バレエに対する愛、そして香港への愛着。それらを軸に、江上さんはこれからもきっと、唯一無二である香港バレエ団の存在を、世界に示し続けてくれることだろう。香港で出会った仲間達と共に。
〈江上さんに3つの質問〉
Q1 生まれ変わるとしたら何になりたいですか?
ペンギンですね。姿がかわいらしいし、それにペンギンって、つがいになると(ほとんどの種類が)一生添い遂げるんですよ。そういうロマンチックなところもいいなぁ。
Q2 香港の一番の魅力は?
人々の助け合い精神が強く、行動が迅速で、かつ効率的なところ。東日本大震災の時も、あっという間にチャリティー公演が手配されました。今回の大埔の火災の時も支援物資の集まりが迅速でしたよね。
Q3 江上さんにとって踊りとは?
踊りは一生ものです。いつ引退とかは考えない。教える立場でも、デモンストレーションとして踊るし、昨年の夏は、沖縄でダンサーとして舞台に立ちました。90歳になる僕の先生の先生もまだ舞台に立っていますしね。……そのためにはいっぱいエクササイズして。で、いっぱい汗をかいたら、ご褒美にキンキンに冷えたビールを飲む。(笑)
Hong Kong LEI (ホンコン・レイ) は、香港の生活をもっと楽しくする女性や家族向けライフスタイルマガジンです。
コメントをありがとうございます。コメントは承認審査後に閲覧可能になります。少々お待ちください