2023/01/04


はじめに
Hong Kong LEIのWebコラム「キリ流香港散策」を連載中のキリさんが、2022年1月に『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』という本を出版しました。この本はキリさんが、明治~昭和期の日本偉人の香港来訪記録を調べてまとめたものです。
日本の多くの歴史的偉人が香港に来ていたこと、その偉人たちは香港のどこへ行き、何を見たのか、香港からどんな影響を受けたのかなどを、キリさんの本を日本語訳にする形でお伝えしたいと思います。
このコラムは『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』の一部分の翻訳であり、また文字数の関係から意訳しているところもあるので、内容をより深く知りたい方はぜひキリさんの本をお手にとってください。

第6回 北里柴三郎 訪港:1894年6月12日~7月20日


北里柴三郎(きたざと しばさぶろう)
1853(嘉永5)年~ 1931(昭和6)年、熊本県出身の細菌学者・教育者。「近代日本医学の父」として知られる。1889年に破傷風菌の純粋培養に成功、翌1890年に血清療法を開発、さらに1894年に香港でペスト菌を発見し、「感染症学の巨星」と呼ばれる。1914年、北里研究所を設立。

北里柴三郎と香港の関わりは、日清戦争前夜のペスト発生にまで遡ることができる。
ドイツ留学中だった彼は、すでに日本では著名な細菌学者で、香港には1894年に日本政府の医療チームの代表として派遣された。
1894年に雲南省で始まった歴史上3回目の世界的なペストパンデミックは、広州を経由して香港に上陸、貧民層の間で急速に広がった。当時この感染症は、黒死病と呼ばれた。記録によると、香港の感染者数は2,679人、うち死亡者数は2,552人で、死亡率は95%に達した。
香港政府は5月11日に、エピデミックポート(疫埠)の宣言をし、中国人の出国を禁止、流行防止策を公布した。しかし、状況は芳しくなく、すぐに日本政府に対策と支援を求めた。香港がエピデミックポートになれば、頻繁に貿易を行ってきた横浜港、神戸港、長崎港にも影響が及ぶ可能性があるとみて、日本政府は緊急支援要請を出し、伝染病研究所所長の北里柴三郎や東京帝国大学医学部教授の青山胤通ら6名の調査団を設立。彼らは、6月5日に横浜港を出航し、約1週間かけて6月12日に香港に到着した。

調査団が到着した直後の7月に日清戦争が勃発。当時の香港はイギリス植民地政府ではあったが、大部分の市民は中国人であることを考えると、この状況下で香港に調査団を派遣するというのは非常に危険な選択だった。

香港での調査団は、皇后大道中のウィンザーホテル(溫莎酒店)にチェックインした後、ケネディタウンにある病院に直行、状況を把握した上で、解剖調査を開始した。当時、ケネディタウン地区は、ペスト患者が集中的に治療されていた場所であり、病院のほかに墓もあった。感染症で亡くなった患者が次々と研究室に押し込まれ、調査団は昼夜を問わず遺体を解剖していた。
当時の香港では西洋の医療技術がまだ広く受け入れられておらず、死亡率の高い感染症の治療にも漢方薬が使われる傾向があった。日本チームは、調査のために故人の解剖を行う必要があるが、中国人にとっては、祖先への冒涜であり、知られれば間違いなく反対される。幸いなことに、香港政府の支援により、調査団は、死者が埋葬されている墓地に近いガラス工場を改装した仮設病院の一角に小さな解剖室を持った。そこで解剖は極秘に行われた。

そんな中、北里は疫病の病原菌がペスト菌であることを発見した。この疫病はネズミに関係していると考えられ、腺ペストとも呼ばれる。北里は、香港での研究成果をロンドンの有名な医学雑誌「The Lancet」に報告するとともに、香港政府にも詳しく説明し、ネズミの駆除や衛生面への配慮、煮沸消毒などを提案、流行の拡大抑止に貢献した。

約2週間後の6月28日、調査団と香港政府、医療関係者で晩餐会が開催された。その後、調査団メンバーである青山が脇下に激痛を訴え、リンパ腺に感染が疑われた。その後、同メンバーの石神亨も感染の症状を示した。2人とも高熱が出て重体となり、船内病院に搬送され治療を受けた。青山は心不全に陥り、7月3日には、彼の棺を用意したほどだったという。

幸い2人は回復したが、調査団が黒死病に感染したというニュースはすぐに日本に伝わり、即刻帰還要請が出た。しかし、研究に没頭していた北里は、聞く耳を持たず、その後も香港に残り、約5週間滞在した。
香港での発生から5年後、ペストはついに神戸、大阪、さらには関東地方にも広がった。北里は、香港での経験を生かして日本の疫病蔓延を抑え、ネズミの撲滅政策と衛生管理を実施し、日本でのペスト抑止を成功させた。

広東語の「洗太平地」という言葉は、当時ペストを根絶するために行われた上環太平山街一帶の大規模清掃活動のことを指す。
現在、ミッドレベルにある香港醫學博物館に行くと、北里柴三郎をはじめとする海外医療チームが1894年に残した写真や記録を見ることができる。


コラムの原本:黄可兒著『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』(2022年1月、三聯書店(香港)有限公司)

 

〈著者プロフィール〉
黄可兒(キリ)
香港中文大學歷史系學士、日本語言及教育碩士。日本の歴史や文化を愛し、東京に住んでいた頃に47都道府県全てを旅する。『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』は、夏目漱石研究の恒松郁生教授との縁で、2019年から始めた日本偉人の香港遊歴研究をまとめて上梓したもの。

 

キリさんのWebコラムはこちら「キリ流香港散策

 

翻訳:大西望
Hong Kong LEI編集。文学修士(日本近現代文学)。日本では明治期文学者の記念館で学芸員経験あり。


 

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