2022/12/06

みなさん、こんにちは!

今回の「Old Hong Kong in Colour (彩られ蘇る香港今昔)」は、19世紀の香港で利用されていた乗り物の轎子(giuji/きょうし)について写真を見てみましょう。

古代中国の伝統的な交通手段の轎子は、「肩輿」とも呼ばれることからも分かるように、人を乗せる椅子を人力で担いで運ぶ乗り物です。日本でいう駕籠(かご)ですね。

香港掌故——交通工具 | 大紀元 (epochtimes.com)によると、轎子には、官用、旅客用、医療用、葬儀用などいくつかの種類があり、厳しく区別されていたそうです。轎子は重労働ですが、当時はまだ安定した収入を得られる仕事だったとか。

1870年代以降、馬車や人力車、そして1888年にケーブルカーが登場すると、轎子の役割に大きな影響を与えるようになり、1930年代には姿を消していったといいます。

 

「日本近代洋画の父」と称された画家・黒田清輝は、1884年、18歳の時から、1900年、1901年と19世紀末の香港を訪れて、実際に轎子に乗っています。

〈コラム本文抜粋〉

交通機関に関して、香港で駕籠(轎子)に乗る時は、一般的に客は先に運賃の交渉は行わず、降りる際に裁量で運賃を決めていると黒田は記録している。代金受け取りの際、轎夫は必ず「安すぎる」と文句を言うが、客はそれを無視して去ってしまう。 上海では、文句を言う轎夫を客は殴り、黙らせるという。 香港では殴ってはいけないという法律があると聞いていたが、それでも巡査が殴っているのを見た、と黒田は記録している。

 

LEIコラム「偉人たちが見た香港」第5回 黒田清輝 もご覧ください。


実際の轎子の写真とともに、19世紀の香港の街並みや人々の様子もご覧ください。

写真左に轎子、その横に人力車が写っています。

 

 

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