2022/12/05


はじめに
Hong Kong LEIのWebコラム「キリ流香港散策」を連載中のキリさんが、2022年1月に『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』という本を出版しました。この本はキリさんが、明治~昭和期の日本偉人の香港来訪記録を調べてまとめたものです。
日本の多くの歴史的偉人が香港に来ていたこと、その偉人たちは香港のどこへ行き、何を見たのか、香港からどんな影響を受けたのかなどを、キリさんの本を日本語訳にする形でお伝えしたいと思います。
このコラムは『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』の一部分の翻訳であり、また文字数の関係から意訳しているところもあるので、内容をより深く知りたい方はぜひキリさんの本をお手にとってください。

第5回 黒田清輝:1884年2月8日、1900年6月2~4日、1901年5月


黒田清輝(くろだ せいき)
1866(慶応2)年~1924(大正13)年、鹿児島県出身の画家、政治家。「日本近代洋画の父」として知られる。17歳で、法律を学ぶためフランスに留学したが、二年後に絵画に転向。フランス人画家ラファエル・コランに師事。27歳で帰国し、フランスで学んだ技法で「外光派」という新たなスタイルを日本画壇にもたらした。絵画制作のかたわら、東京美術学校教授、貴族院議員や帝国美術院長を歴任。

黒田清輝は、欧州渡航をした18歳、34歳の時に、二度香港を訪れている。二度とも、彼の日記や家族に宛てた手紙にその記録が残されている。

1884年2月8日朝7時、18歳の黒田清輝を乗せた船が香港に到着した。航行中は、直右衛門という人とともに中等室で過ごしたという。香港到着後、領事館の平都氏に香港ホテルへ案内され、晩には日本料理をご馳走になった。黒田にとって香港は、故郷である鹿児島の桜島より少し大きく感じた。また、港にはフランスの軍艦が停泊しているのが見えたという。

2月9日午後4時すぎ、黒田は同行の橋口氏と墓地を訪れた。途中、運動場や競馬場、美しい家などが見え、文明国家に遊びに来たようだと感じた。この日は土曜日で、運動場には人々が遊んでいたり、楽団が演奏していたりして、それを見て黒田も楽しんだ。沿道には樹々が茂り、樹の根は蜘蛛の巣のように四方八方に伸びている。両側にある市街や坂道などの景観が美しい。墓地は競馬場の近くにあり、日本の公園に似た風格で、各種エキゾチックな花が並び、松や蜜柑の木が美しく感じられた。

1900年、34歳の黒田は絵画の教授法を学ぶために1年間フランスに留学。5月25日に東京を出発し、6月2日晩に香港に到着、6月4日には香港を離れている。この時の文字以外の記録では、「香港」と題する港の風景を描いた油絵がある。

『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』黒田清輝ページより、黒田が描いた香港の絵

6月3日、晴れ時々曇り、黒田は農商務省陳列所所長の佐藤顕理(さとう へんり)、日本美術院の岡崎雪聲(おかざき せっせい)らと東洋館に平山周を訪ねた。平山のすすめで擺花街にある日本料理「二見屋」へ行った。黒田の目には、香港の大部分の家は美しい見た目だが、この辺りの5階建てくらいの建物のように乱雑な家がまだたくさんあり、衛生状況も理想的ではないように映った。ペスト流行の中心地がここだと聞いたという。

二見屋では九州の長崎一帯から来た女性が何人かおり、木綿の汚れた着物を着て給仕などをしていた。暑さを凌ぐために、レモン水や氷、みかんなどを食し、その他、豆腐味噌汁、筍、松茸、玉子焼き、海老に木瓜の酸の物などを楽しんだ。

腹ごしらえをした後、「銀座通り」とも称されるクイーンズロード(皇后大道)で、銀製の手工芸品を見に行った。 その後、駕籠(轎子)に乗って公園に行き、蓮、鳳仙花、朝顔、ひまわり、アジサイなどを見た。南国をはじめとする珍しい植物も鑑賞した。 黒田は芸術家として、噴水の横にあるケネディ総督のブロンズ像に注目した。 イギリス在住のイタリア人彫刻家 Mario Raggiがロンドンで制作したこの像と、同じ作者による海岸のヴィクトリア女王のブロンズ像の美しさを称え、「日本にもせめてこの程度の芸術があってもいいのではないか」と嘆いている。

交通機関に関して、香港で籠(轎子)に乗る時は、一般的に客は先に運賃の交渉は行わず、降りる際に裁量で運賃を決めていると黒田は記録している。代金受け取りの際、轎夫は必ず「安すぎる」と文句を言うが、客はそれを無視して去ってしまう。 上海では、文句を言う轎夫を客は殴り、黙らせるという。 香港では殴ってはいけないという法律があると聞いていたが、それでも巡査が殴っているのを見た、と黒田は記録している。

その夜、領事館に行き、日本領事の上野季三郎と面会した。 その後、香港での日程を終え、フランスへ向けた航海に備えた。1901年に黒田はフランス留学からの帰路に再び香港を訪れ、野村五郎という人の家に泊まり、日本人の仲間と写真館で集合写真を撮った。

このように、黒田清輝が香港で残した足跡は少なくない。

 


コラムの原本:黄可兒著『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』(2022年1月、三聯書店(香港)有限公司)

 

〈著者プロフィール〉
黄可兒(キリ)
香港中文大學歷史系學士、日本語言及教育碩士。日本の歴史や文化を愛し、東京に住んでいた頃に47都道府県全てを旅する。『爐峰櫻語 戦前日本名人香港訪行録』は、夏目漱石研究の恒松郁生教授との縁で、2019年から始めた日本偉人の香港遊歴研究をまとめて上梓したもの。

 

キリさんのWebコラムはこちら「キリ流香港散策

 

翻訳:大西望
Hong Kong LEI編集。文学修士(日本近現代文学)。日本では明治期文学者の記念館で学芸員経験あり。


 

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