2024/12/11
言葉の壁
わたしが初めて通い始めた香港の詠春拳の道場では、先生や先輩たちがほぼ広東語しか話しませんでした。稽古中、動きや手本を見て理解することはある程度できましたが、先生の指示や説明を正確に理解するのは難しく、いつも周りの生徒の動きを見ながらなんとかついていく状態でした。
先生のある程度まとまった説明や昔話の時は、ほぼ理解できないのに、頷いて分かっているふりをしたことが何度もあります。言語が通じないことで周囲との距離が生まれ、深い稽古や交流が難しくなることを痛感しました。
「郷に入っては郷に従え」という言葉がありますが、その土地の文化や技術を本気で学びたいなら、その土地の言葉を学ぶことが不可欠だと気づきました。そして、広東語を学び始めることを決意したのです。
広東語習得に挑戦
広東語を学び始めたのは、2019年の新型コロナウイルスによるパンデミックがきっかけです。社会的距離措置や施設の閉鎖により自由な時間が増えたため、この時間を活用して本格的に広東語を習得しようと決意しました。
広東語は中国語の「方言」と位置付けられていますが、実際には標準中国語(普通話)とはまったく異なる「別の言語」と言えます。広東語の発音や声調(トーン)は非常に難しく感じました。広東語には9種類(学派によっては6種類)の声調があり、音を正確に聞き分けて発音するには相当な練習が必要です。また、日常会話で使われる話し言葉(口語)と、新聞や書籍で用いられる書き言葉(文語)が大きく異なる点も、学習者にとってハードルとなります。
効果的な学習方法
わたしは大学院で英語と日本語教育の教授法を研究したので、その経験を活かし、以下のアプローチで広東語の学習を進めました。
1.聞く
2.話す
3.読む
4.書く
特に初期段階では文字に頼らず、音声を徹底的に活用しました。これは人が母国語を習得する自然な順序で、アイビーリーグの日本語教育でも使われている効果的な方法です。言語はまず「聞いて真似る」ことから始まり、そのリズムや文法を徐々に体得するのが理想的です。
学習に使用した教材は、香港中文大学が英語話者向けに設計した広東語の教材「CANTONESE in Communication: Listening and Speaking Book1 & Book2」です。この教材は本と音声がセットになっており、音声をメインに、文字(テキスト)はあくまで参考として使いました。
・単語レベルで練習
音声を聞き、そのまま発音を真似しました。この際、声調やイントネーションに特に注意を払い、教科書は開かないようにしました。
・フレーズレベルで練習
次にフレーズを覚え、正確な発音と表現を身につけるよう練習しました。単語の組み合わせや会話の流れを意識しながら、フレーズの次は文レベルに移行しました。
・徹底的に繰り返す
ひたすら聞いて話す練習を繰り返し、徐々に広東語のリズムや文法を体得しました。
この方法で教材の1冊目と2冊目を6ヶ月で3周しました。その結果、日常生活で聞こえる単語やフレーズを少しずつ理解できるようになり、それを自分でも使えるようになりました。
広東語学習の成果
広東語を学び始めて数ヶ月後、道場での稽古中に大きな変化を感じました。先生や先輩たちが広東語で指示を出しても、少しずつ理解できるようになったのです。例えば、手の動きや足の位置を細かく指導される際も、以前のように動きの手本を待つ必要がなくなり、言葉から直接理解することができるようになりました。この変化により、稽古の質が格段に上がったと感じています。
また、広東語を話せるようになったことで、道場の仲間たちとの関係も深まりました。先生や先輩たちはわたしが広東語を一生懸命学ぶ姿勢を見て、より親切に教えてくれるようになりました。稽古後の雑談や食事の場では、広東語での会話が自然と増え、道場での雰囲気がより楽しく、温かいものになりました。
さらに、道場外でも広東語を使う自信がつきました。ある日、地下鉄で老婦人に道を尋ねられた際、広東語で説明できたことは大きな達成感となりました。それまで「分かりません」と返していた自分が、広東語で会話できた瞬間、学習の成果を強く実感しました。
稽古後、林先生と兄弟弟子とのひととき
生活にも変化
広東語を学ぶことで、わたしの香港での生活は大きく変わりました。言葉の壁を越えることで、道場での稽古はより深いものとなり、仲間たちとの絆も強まりました。また、香港という土地に対する理解と愛着も一層深まりました。言葉を学ぶことは、その土地の文化や人々とつながるための最良の方法であり、自分の成長につながると改めて実感しています。
外国語の習得は、スポーツを学ぶのと同じで、正しいアプローチで努力を続けさえすれば、必ず成果が出ます。これからも広東語を磨きながら、詠春拳の稽古に励んでいきたいと思います。
タッカー
葉問一番弟子の梁相師公の直弟子である林樹成師父の入室弟子(内弟子)となり、林一門では外国人として初の師範免許を取得。林樹成詠春國術會の助教(アシスタントインストラクター)として活躍するかたわら、香港で日本人などを対象にした香港詠春拳クラブ(Hong Kong Wing Chun Club)を主宰。
X:wingchun_tucker
IG: wingchun_tucker
Website: wingchun.fit
FB: lsswingchun
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