2023/02/05

みなさん、こんにちは!

今回の「Old Hong Kong in Colour (彩られ蘇る香港今昔)」は、「19世紀の日本人僧侶が見た風景」と題して、1899年に香港に初めて来た西本願寺第22世法主の大谷光瑞(おおたに こうずい)が見た香港の風景をお届けします。大谷光瑞は、中国の布教状況視察のために23歳で香港に来ました。当時の香港はイギリス領で、光瑞に同行した人物が記した『清国巡遊誌』(1900年)から、光瑞たちはアジア的香港よりもヨーロッパ的香港に注目して視察していたことが分かります。大谷光瑞と香港との関係については、LEIコラム「偉人たちが見た香港 第7回 大谷光瑞」をお読みください。

 

LEIコラム「偉人たちが見た香港 第7回 大谷光瑞」

〈コラム本文抜粋〉

次に光瑞一行は、聖ヨハネ主教座堂を参観し、近くのピークトラム乗り場からトラムに乗って山頂へ向った。
(中略)
『清国巡遊誌』によると、山には兵営、旅館、別荘があったという。景観が美しく、ビクトリアハーバーにはイギリス軍艦パワフル号やセンチュリオン号をはじめ、十数艘の軍艦が停泊しているのがはっきり見えた。
翌1月28日、光瑞と他2人は日本領事館で領事の上野季三郎を訪問。午後、香港大会堂の中にある博物館、劇場、図書館などを見学。当時、香港歴史博物館は大会堂の中にあり各種動物の剥製、貝殻、鉱物、古銭、古代の武器などを陳列していた。記録によると、大会堂前には実業家の寄付で造られた噴水があったという。
(中略)
『清国巡遊誌』の記録では、墓地は市街地の東にあり、外国人は「Happy Vally」と呼んでいたという。それが今日のハッピーバレー(跑馬地)だ。この墓地は宗派別に分かれており、キリスト教、カトリック教、ユダヤ教、イスラム教が一角を占めている。キリスト教の墓地は整備されており、中央に噴水があり、草花も美しく咲いている。西洋人は墓地を重視しており、日本人とは比較にならないほどだと記されている。


それでは、日本人僧侶・大谷光瑞が巡った場所の古写真を見ていきましょう。

 

1890~1923年頃のビクトリアピーク。アニメーションになっています。『清国巡遊誌』にあるように、兵営、旅館、別荘のような建物が見えますね。

 

大谷光瑞が僧侶だったことにちなんで、大嶼山天壇大佛 (1990年)の写真もご覧いただきましょう。大仏様の周りは更地だったのですね。

 

この写真は大谷光瑞来港の年代から離れていますが、跑馬地馬場(1946―1947年)の様子が分かります。画像下方に墓地が広がっています。

 

1900年撮影の大會堂。ちょうど大谷光瑞が訪問した頃ですね。この中に博物館、劇場、図書館などがありました。写真では噴水も確認できます。

 

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