2025/01/20

マイオフィスカフェ Tasting Table My office cafe

「Hong Kong LEI – Cover Story」は、香港で輝いている人をご紹介するシリーズ企画です。当記事は、健康と食の安全をお届けする Tasting Table Japan Premium より当企画への賛同と協賛をいただき制作しています。


 

万里の道を旅するアート

https://marikojesse.com

聞き手:小林杏
編集:深川美保

 


〈目次〉

<大好きな香港、大好きなスケッチ>
<香港でイラストレーターとして歩き出す>
<日本で木版画に出合う>
<万里子さんに3つの質問>


 

<大好きな香港、大好きなスケッチ>

お洒落な香港土産ショップや旅行誌などで必ず目にする『香港トワル/ウィロー』の食器やティータオル。「質の良いギフト用香港土産を」と作成されたコレクションに、香港愛に満ちたイラストを描いているのが、万里子ジェシーさんだ。

「トワル/ウィローコレクション」の絵柄は現在、香港、九龍、北京、ロンドン、日本があり、色の展開も赤、青、緑と目を楽しませてくれる。

「母の故郷、神戸で生まれた」と言う彼女はグラフィックデザイナーで英国人の父と、陶芸家で日本人の母を持ち、香港と英国で育った。生まれ故郷から何万里も離れ、異なる文化の中で生きていくから『万里子』と名付けられたのだそうだ。

12歳までを香港島の南、スタンレーで過ごす。「弟や近所の友達といつも外を駆け回っていました。ビーチも近いし、本当に楽しい子供時代だった」と振り返る。

絵は、ペンが持てるようになると同時に描き始めたと言う万里子さんは「分厚いお絵かき帳を使ってしまうと家の壁にも描いちゃって。だから両親はいつもペンキを塗り直してましたね」と茶目っけたっぷりに笑う。外出する時にも必ずスケッチブックを持ち歩き、いつでもどこでも描く当時の習慣は今でも変わらないと言う。

1970 年代、香港の家の庭で和装をしている幼い日の万里子さん。

彼女が10代を迎えた80年代、香港の1997年中国返還が決まる。「大好きで離れたくなかった香港」だが、多くの在港英国人同様、万里子さん家族も先の見えない不安から英国へ戻った。

ただ世界のどこにいようと進む道に迷いはなく、中学、高校ともに選択科目はいつもアートだった。英国の名門芸術大学、セントラル・セント・マーチンズを卒業後、小売大手のM&Sに入社。就職した年に手がけたクリスマスカードは大好評を博したと言うから、既にイラストレーターとしての頭角を表してきていたのだろう。

こうして1年足らずで学生ローンを返済した彼女は仕事を辞め英国を後にする。行き先はもちろん、いつか必ず戻ろうと思い続けていた香港。1996年のことだ。

<香港でイラストレーターとして歩き出す>

キャリアを積んだ人間を好んで雇う保守的な英国と違い、何事にもスピード感のある香港では当時経験の浅かった万里子さんも 「まずはやってみて」と仕事をもらえた。

金融国際都市において多くの仕事はビジネス・経済誌からだった。「始めの頃はイラストレーターとして生きていくためにどんな分野の仕事も引き受けていた。何が自分にとって適しているのかやってみなければわからないし」。クライアントからの要望を懸命にこなすも、いつしか「株式と債券」など自分に興味のない事柄をイラストにすることが辛くなっていく。

「だから、ある時そういう仕事を断ることにしたの。無職になったらどうしようって、すごく怖くて悩んだけど。でもやりたくない仕事にNoということは、自分が本当にやりたいことを決めることだ、って気づいた」

香港の高級ショッピングモール、パシフィック・プレイスで自身の作品と

旅や食べ物といった題材の仕事をしたくて「旅行雑誌等に “私の過去の仕事を見てください“って電話をしてから、それを持参した」。そうして踏み出した一歩は、ゆっくり、でも確実に前に続く道へと繋がっていった。香港に来て6年が経った頃、ようやく「大丈夫」と思えるようになったと言う。

ティーポット、点心、イラスト地図…優しい色味と、今にも動き出しそうな、愛らしさ溢れる絵柄が万里子さんのイラストの特徴だ。インスピレーションはどこから得ているかと問うと「博物館に行って色々なモノを見て描く。“こんな面白い形のものがあるのか”って」。そして「色はいつも試行錯誤するけどラインは得意。考えずに自然に描ける」と言う。

物事はやればやるほど上手になると言うことを信条としている万里子さん。彼女の描き出すラインが魅力的なのは、持ち前の才能に加え、幼い頃から膨大な時間をスケッチに費やしてきたからに違いない。

カリフォリニア州デスヴァレー国立公園。絶景の見晴らしの中、スケッチをする万里子さん。

<日本で木版画に出合う>

2002年英国に戻り、9年間母校で講師を務める受け持ったコースは年に1学期間、残りの数ヶ月間は世界中を旅しつつ、メールで依頼を受けイラストレーターとして仕事をした。各国で、芸術家たちが一定期間滞在をしながら制作交流を深めるアーティスト・イン・レジデンスにも参加するようになった。

2004年、淡路で木版画を習う万里子さん

2004年には淡路のアーティスト・イン・レジデンスで日本の伝統木版画を習い、それ以降は木版画家としても活動している。和紙の厚さ、その日の天候、ばれんにかける圧など、匙加減一つで出来が変わる木版画の奥深さに魅入られたと言う。「祖父のルーツである淡路で始めて、母の木版画道具や祖母が彫り物をしていた時の道具を譲り受けて使っている。木版画をしながら“これはわたしのやりたかったことだ!”と思った」。木版画との出合いは日本にルーツのある彼女にとって運命であったかのようだ。

万里子さんの木版画作品 (All images copyright Mariko Jesse Illustration)

万里子さんにとって2025年は、イラストレーターになって30周年という節目の年だ。振り返ると「香港トワル/ウィロー」を始めとして、MTR長洲湾駅の壁一面を飾る銅版画、販売後すぐに完売したNYティファニー本店のカップ、英国セレブリティシェフの料理本、国連機関等とコラボレーションをしている多言語防災教育絵本シリーズ「COPE」、日本での木版画展など、国をまたいで手がけた作品は数知れずだ。

今後は?の問いに「依頼を頂く仕事も大切だけど、自分の木版画や絵本も作りたいとも思っていて、上手にバランスを取ってやっていきたい」と教えてくれた。

迷った日々もあったけど、だからこそ自分の望むべき場所が見えた。万里子さんは、これからも自ら選んだ、大好きな万里の道を行くだろう。彼女の動かすペンや彫刻刀から生み出される美しい作品の数々と共に。

「作品を気に入って使ってくれる人がいるのを知るとすごく嬉しい」と万里子さんは言う

<万里子さんに3つの質問>

Q1: 世界で1番好きな美術館はどこですか?

ロンドンのヴィクトリア&アルバート 博物館。例えば昔の椅子とか、多数の陶磁器とか色々なものが置いてあるの。わたしは絵だけでなく形ある“モノ”を見るとすごく創作意欲が湧きます。

Q2: 影響を受けたイラストレーターは?

ムーミンを描いたトーベ・ヤンソン。幼い頃からムーミンの絵本が好きでよく読んだけど、あのイラストは驚くほど素晴らしいと思う。かわいいけど、かわいすぎず、陰があってそして現実的で。彼女の絵を見ると、よりよいイラストレーターになろうって思う。

Q3: 英国、日本、アメリカ、香港、それぞれの場所での「1番」を教えてください

英国は、何と言っても自分の家族ですね。日本は迷わず食べ物!アメリカは国立公園。広大でその美しい景観といったら他では見ることはできないでしょう。香港はスターフェリー。そのデザイン、フェリーからの景色、セーラー服を着た船員とか、昔から何も変わっていないような雰囲気がいい。香港に来たら必ずスターフェリーに乗ります。

 

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