2023/09/20

「Hong Kong LEI – Cover Story」は、香港でがんばる人をご紹介するシリーズ企画です。当記事は、健康と食の安全をお届けする Tasting Table Japan Premium より当企画への賛同と協賛をいただき制作しています。


「好きなことを楽しみながら、わたしの味を残したい」

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HongKong LEI 「雲姐(ワンジェ)の香港家庭料理レシピ」

聞き手:大西望
編集:深川美保


〈目次〉

〈料理がファミリーヒストリー〉

〈料理から逃げたかった学生時代〉

〈楽しみながら、わたしの味を残したい〉

〈ワンジェさんに3つの質問〉


 

〈料理がファミリーヒストリー〉

2019年にHong Kong LEIで始まったコラム「雲姐(ワンジェ)の香港家庭料理レシピ」は、今年で連載50回を迎えた。料理研究家のワンジェさんが毎月1品、香港のノスタルジックな記憶とともに香港家庭料理を紹介している人気コラムだ。これまで50品以上を紹介しているが、いまだにレシピは尽きないという。

「子どもの頃から料理を作る手伝いをしていました。外食をあまりしない家庭だったので、3食ほぼ自炊。だからレシピも料理の思い出もありすぎるんです」と流暢な日本語でワンジェさんは語る。

しかし、近年は自炊する人が減ったせいか、忘れられつつある家庭料理も多いらしい。料理名をネットで検索しても情報が何も出てこない時があるという。「香港の昔ながらの家庭料理の記録は、わたしが書かなければもう無くなってしまう」という想いからコラムを書き続けている。

“母はフルタイムで働いていて祖母が家での料理担当だったこともあり、母の手作り料理はあまり口にしたことはありませんでした。オーストラリアに移住後、祖母は他界し、その料理担当はわたしが後継し、母は司令官として料理監督の役割に移っていきました。” (「第54回 雲姐(ワンジェ)の香港家庭料理レシピ 金菇扒豆腐~厚揚げの香港風えのきあんかけ~」より抜粋)

 

ワンジェさんが幼い頃は、平日は父方の祖母が、休日は父が食事を作っていた。買い出しや調理に付き添いながら、鍋の洗い方や野菜の下処理の仕方などを覚えていったという。また、ワンジェさんが2歳の時に他界した母方の祖父は、香港初の5つ星ホテル「香港大酒店(香港ホテル)」の総料理長を1950年代に務めた料理人だ。その祖父に育てられたワンジェさんの母は、絶対音感ならぬ「絶対味覚」の持ち主だったようで、ワンジェさんに細かく料理を教え込んだという。

「母は料理を作らないけど、調理の指示が細かくて的確なんです。食べただけで何がダメだったか理由もちゃんと言える。母の訓練が厳しかった分、自分で料理の良し悪しが判断できるようになりました」

365日×3食、積み重ねる食事の記憶が家族との記憶に直結する。ワンジェさんにとって料理が家族そのものだった。

1900年ごろの香港大酒店。雲姐さんの祖父は1950年代に総料理長を務めた。(Unknown author, Public domain, via Wikimedia Commons)

 

〈料理から逃げたかった学生時代〉

移住したオーストラリアでは、週末になると父が香港人の友人、知人を家に呼んで宴会をしていた。振る舞うのは、もちろん香港の家庭料理。それを作るのが中学生のワンジェさんの役目で、多い時は30人前作ったこともあったという。

「もうご飯を作りたくなくて、我慢できなくて近所の図書館に隠れたことがありました。でもすぐに姉がやってきて『早く作らないとダメだよ』と無理やり連れて帰らされました」

食事を作るほかに幼い弟妹の世話もしていたワンジェさんには、友達と遊んだりお茶したりする学生時代はなかった。写真家の夢もあったが、親から会計士の資格を取るように言われ、それに従った。

「典型的な中華系の家庭でしたから、親の言うことは絶対でした。でも、やりたいことが出来ないのが嫌で、早くこの家族から脱出したいと思っていました」

そんな折にオーストラリアで知り合った日本人男性と24歳で結婚し日本へ移住。国際会計事務所で働きながら、子育てをした。

コロナ以前は自宅で料理教室を開催していた。

1990年代の日本は本格的な香港料理の店がなかったので、ワンジェさんが作る料理は夫にも喜ばれ、日本人コミュニティにも料理を通じて溶け込めた。作った料理をママ友にあげたり、その料理の歴史や背景を教えたりするうちに「料理教室を開いて欲しい」と言われるようになった。家族から離れ、日本に住むようになって料理を作ることが楽しいと思えた。

「自分にとってはいつもの家庭料理をいつも通り作っているだけなんですが、みんながすごく喜んでくれる。親から厳しく教えられたおかげで料理がスキルになっていました。芸は身を助く。いまは親にめちゃくちゃ感謝しています」

 

〈楽しみながら、わたしの味を残したい〉

日本でもワンジェさんは家庭料理で家族を支えた。子どもにアトピーがあったので、調味料も自家製にして旬の食材で料理を作り、家族の健康を保つよう心がけた。今年に入り夫は長年勤めた会社を退職し、子どもはほどなく成人を迎えることで、ワンジェさんの10代から続いた家族のための料理作りがひと区切りつこうとしている。

ワンジェさんと今年81歳になる母。(2023年撮影)

幼い頃に得た料理の記憶を「宝」だと言うワンジェさんは、「わたしの味を残したい」と次の目標を見つけて動き出している。それは自分のカフェを開くこと。料理教室をしたおかげで料理を通じて人と交流することが好きだと分かり、今度はいろんな人がお客さんとして来るカフェを開きたいと思ったという。

思い立ったら即行動。接客経験を積むため、ベーカリーカフェでパートを始めた。社会人向け飲食店起業の専門学校にも申し込んだ。財務に関しては、会計士として長年の職務経験が活かせる。カフェ経営の足がかりに、近所のシェアキッチン(複数の事業者が時間または日割りでレンタルできるキッチンスペース)で週1回だけのカフェを計画中。 専門学校を修了する春頃からスタートさせたいと考えている。

また、新しい趣味もできた。3年前、子宮筋腫の開腹手術のために医師から痩せるように言われ散歩が日課になったが、その延長で山登りが趣味になったという。高尾山登頂の1年後にはなんとノルウェーでのフィヨルドハイクに挑戦。実は若い頃にノルウェーの風景写真を見て、いつか行きたいと思っていたらしい。若い頃の思いは、いまの自分なら実現できる。

「子育てもひと段落して、いまが人生で一番自由だし、ベストコンディション。青春を取り戻している気分です。好きなことをできるようになったいま、全部とことんやりたい」。ワンジェさんの言葉が弾んでいた。

カフェ経営の夢に邁進しながら、毎日1万歩を日課とし、山歩きも楽しんでいるワンジェさん。白馬にて。

〈ワンジェさんに3つの質問〉

Q1 ノルウェーのフィヨルドハイクとはどんなものですか?

ロフォーテン諸島に行って、フィヨルドの10の山を10日間で登るツアーです。参加したのは日本からはわたしだけで、他にイギリス、アメリカ、ポーランド、ブルガリアの人がいました。かなり険しい山ばかりで、わたしはいつも一番遅い登頂者でした。ちょっと無謀だったかな(笑)。でも全部の山を登り切りました。怪我もせず無事に帰還できたことで自信になりました。

Q2 毎月のコラムを日本語で執筆するのは大変ですか?

わたしの日本語の文章は夫や子どもがチェックしてくれています。たまに夫がコラム記事をメニュー代わりにして「これ作って」と言ってきたりします(笑)。子どもには、コラムを通じてレシピとわたしのヒストリーを知ってもらえたらいいなと思っています。

 

Q3 日本で利用するアジア食材店はありますか?

上野のアメ横地下食品街に行けば何でも揃いますよね。あと新大久保は韓国、タイ、インド、ネパールなどの食材店がたくさんあります。池袋も多いですね。地方でもぽつぽつアジア食材店は増えていると思います。カルディも結構買いたいと思う物が売っています。

 

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