2022/12/20

Tasting Table Japan Premium

「Hong Kong LEI – Cover Story」は、香港でがんばる人をご紹介するシリーズ企画です。当記事は、健康と食の安全をお届けする Tasting Table Japan Premium より当企画への賛同と協賛をいただき制作しています。


「今後、和紙はもっと注目されていくと思う。ぼくはその先駆者でいたい」

 

 


(目次)

〈リーバイスを超えるジーンズを作ることだけを考えてきたんです〉

〈生きてる間に完成すれば良いと思っていた〉

〈海外で再認識した自分のルーツ〉

〈吉川さんに3つの質問〉


 

〈リーバイスを超えるジーンズを作ることだけを考えてきたんです〉

今世界で注目されているWASHIジーンズを開発し、WASHI HOUSE LTD を香港で立ち上げた吉川さんはそう語る。

通常、ジーンズの生地であるデニムは、インディゴに染められた縦糸と、染められていない白い横糸で織られている。WASHI HOUSE のジーンズ ”WASHI” は、その横糸に日本の和紙を使用しているのが特徴。ジーンズに紙?と意外に思うかもしれないが、実際に触ってみると生地はやわらかくさらっとしている。形状記憶性があるので、水で洗えば買った時の形に戻る上、10年間はけるほど強度があるのだそう。

「和紙を織り込んだ生地は、夏には涼しく冬には暖かい上に、速乾性、抗菌効果などに優れている。蒸し暑い香港の夏にもぴったりのジーンズなんです」と語る吉川さん。実はデニム業界に30年以上関わってきた知る人ぞ知るデニム博士。「ただ丈を短くするだけだと思われがちな裾上げだけで、3時間語れる」というから相当なものだ。

吉川さんは、大学卒業後に就職したアパレル会社から香港に駐在になり、中国の工場でシルク、リネン生地などの生産管理を任されていた。デニムと出会ったのはその頃。しかも、なかなか衝撃的な始まりだったよう。

「就職したばかりで、ぼくはデニムのことを何もわかってなかったんです。日本から濃紺のジーンズの発注を受けていたのに、中国で洗ったら薄い色に仕上がってしまって。それも面白いかなと思って日本へ出荷したら、会社からは大目玉。数千万円の損失ですから、当然ですよね。もう首になるのを覚悟しましたよ」

ところが、その薄い色の失敗ジーンズがまさかの好反応。爆発的に売れて、吉川さんの首もつながったのだという。

「失敗しても、穴があいても売れる。ジーンズってめっちゃ面白い!って思ったんですよ。あの時ですね、ジーンズの魅力に取り憑かれたのは」

デニム産地として有名な岡山の「西江デニム」で洗い加工を徹底的に学んだ後、香港にオフィスを構えた。ヨーロッパのメゾンのデニムを日本レベルの技術を備えた中国の工場で製造するようになった。ジーンズといえばリーバイスだけだった市場で、高級メゾンがジーンズを扱うようになり「作業着からファッションへ」と変わる過渡期だった。そこでヨーロッパ、中国、日本を行き来しながら、様々なファッションブランドのジーンズを作るのは、ファッションの最先端を学ぶ絶好の機会でもあった。

15年ほど前、欧州を飛び回っていたころ。
吉川さん私蔵のジーンズは約3000本!ジーンズに関わる者には垂涎もののジーンズが貯蔵されている。

 

〈生きてる間に完成すれば良いと思っていた〉

メゾンブランドとの人脈ができ、デニム、ジーンズについての知識もついた頃、自分の人生このままで終わって良いだろうか。という思いが募ってきた吉川さん。2000年ごろからファストファッションが流行り、中国のジーンズ制作工場はさらに忙しくなってきた。その一方で、岡山という高い技術を持った日本ジーンズの産地がさびれていくことにも強く危機感を覚えた。

「岡山ジーンズを無くしてはいけない、日本でリーバイスを超えるジーンズが作れないだろうか」という思いは、強くなるばかりだった。

実は吉川さんの実家は滋賀で350年続く酒蔵。帰省したときに、何か良い案はないかと先祖代々のものが残る蔵を訪れてみた。そこで吉川さんの目に留まったのが、和紙に書かれた会計簿だった。

「木綿の風呂敷は虫にくわれてボロボロなのに、昔の帳簿は損傷なく残っている。この耐久性と防虫性はジーンズに使える! って確信しましたね」

過剰に生産され、短期間で大量廃棄されるファストファッションに疑問を覚えていた吉川さんにとって、和紙は理想的な材料だった。

興味を持ったら、のめり込んでしまうという吉川さん。香港で仕事をしながら、日本の紙の産地を訪れるなど、和紙を使ったデニムの開発に没頭する日々。

「周りからは、和紙のジーンズなんて絶対成功しないって笑われましたよ。でも、ぼくはとにかく生きている間に完成させれば良いと思っていたし、絶対うまくいくという確信があった」

和紙の開発だけで3年、次にそれをカットし糸を撚る開発に7年も費やした。

ひとつひとつ、全てのプロセスを自分で経験して積み上げていった。まるで種から木を育てるように。

7年かけて完成させた、和紙を紡いでできた糸

着想から20年も経ち、誰が着ても様になる至高のジーンズとして完成したWASHIジーンズ。さらにサステイナブルという世界共通の環境理念にも叶う、その新しい素材は、現在世界中の名だたるブランドから注目され、問い合わせが殺到しているという。

WASHIジーンズが完成したのも、自分の拠点が香港だったからだという吉川さん。「これまでに、商売でだまされたり、大変なこともたくさん経験したけれど、やっぱり雑多な香港が好き。それぞれが好きなことをしていて、他人に構わない香港にいたから、周りの声も気にせず自分のペースでやり抜けたのだと思う」と語った。

これまでに試した生地テストの記録帳。

 

〈海外で再認識した自分のルーツ〉

「ぼくは次男だったので、子どもの頃から酒蔵を継ぐのは兄と決まっていた。高校生の時に、父から『将来、お前はお兄さんの下で働くか、イヤなら外に行くしかない』と言われてね。つまり家を出ていけということですからね、きっついでしょ」

みんなと一緒はいやだからと、大学もみんなが選ぶ大阪エリアではなく名古屋へ。そして、どうせ出ていくのなら、みんなが行かない海外へ行こうと決めた。新聞社で校正のアルバイトをして貯めた100万円で大学在学中に行ったのがオーストラリア。次に飛んだ先が香港。当時、バックパッカー御用達だった重慶大厦に1泊65ドルで宿泊したのも良い思い出だ。中国やフィリピンなど東アジア諸国を放浪中、人違いで誘拐されて命からがら逃げ出したり、大変な旅行だったが、この時に「自分は海外で英語を使って生きていく」と決断できた。だからこそ、就職先も海外駐在できる会社を選び、大学卒業から1週間後には香港に移住していたという。中国の工場管理、ヨーロッパでの営業、日本での商品開発、その拠点になる香港で30年暮らし今に至る。

2歳から実家の酒造のお手伝い?
60年以上前の写真。写真右が吉川さんのお父さん。

「日本がいやで海外へ出たはずが、そのおかげで日本には水や和紙など素晴らしいものがあることに気がつきました。最近、和紙の良さが再認識されてますが、ぼくは常にWASHIジーンズ、WASHIの先駆者でいたい。WASHI HOUSEが、実家の酒蔵のように、2代目、3代目と受け継がれていくのがぼくの夢です」

 

WASHI HOUSE


<吉川さんに3つの質問>

Q1 悩みごとがある時はどうしますか?

シャワーを浴びます。不思議といろいろな案が出てくるんですよね。

 

Q2 人生で大切なことは何ですか?

とにかく、やりたいことをやり続けること!趣味を仕事にすること!(ただし、ずっと仕事をしているので妻には怒られます)

 

Q3 香港の好きなところを教えてください。

香港人はすべてのスピードが速い。ぼくはスローなのですが、周りが広東語なので、気にせず自分のペースで仕事ができるのが良いですね。(とはいえ、吉川さんの広東語は上級者レベルです)

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