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2026/03/10

©︎Hong Kong LEI

故・坂本龍一氏のコンサートが香港に来るので参加することにした。すでにニューヨークや台湾などで開催されたこのパフォーマンスは前評判も良く、大体の内容は学んで行ったのだが、いまいち、どんなインパクトをもたらしてくれるのか、どう期待して良いのか、疑心暗鬼なところもあった。

先に言っておくと、筆者の予想を大きく遥かに超えて感情は揺さぶられ、胸熱になり、込み上げるものがあった。その晩はじわじわと胸にくる、興奮とは違う感動のせいで、胸がいっぱいになり寝付けなかった。

実際、恐らくあそこにいたほとんどの観客もわたしと同じように、坂本龍一という音楽家とプライベートな時間を過ごし、静かでパワフルな演奏を通して、彼からメッセージを受け取っただろう。わたしにとってもとても貴重な、一生胸にしまったおきたい宝物のような体験をさせてもらった。

 

合わせて前回の記事も読んでいただきたいが、坂本龍一氏は生前、ニューヨークの複合現実スタジオTin Drum社のディレクター、トッド・エッカート氏のMR(複合現実)企画で、永遠に残る彼自身の演奏風景の撮影に賛同した。このコンサートは、彼がこだわったグランドピアノで演奏する様子を撮影したものだ。残念ながらポストプロダクションが想定外に時間がかかり、坂本氏は完成を見ずに他界してしまった。

©︎Tin Drum Ryuichi Sakamoto by Luigi & Iango

今回体験した内容を順を追って紹介しよう。

筆者は、これまでにもVR(仮想現実)のアート体験は何度か経験してきたので、個人的にはこれからの発展がとても楽しみな方だ。テクノロジー的にどのように現れて、見えて、動いて、どのように聞こえるのか、とても興味があった。が、一方でわたしが一体どんな感覚を持つのかは全く予想がつかなかった。

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会場は、WestKにあるFreespaceという多目的スペース。この会場は時にコンサート、時に展示会と、だだっ広い空間を企画によって作っていくタイプのスペースだ。チケット購入者は会場には15分前に到着することを推奨する。

正面の絵はドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto: CODA (坂本龍一:終章)」2017年 ‧ ドキュメンタリー/音楽 ‧ 1時間 42分の一部。このシーンは坂本龍一氏が雨の音を感じるためにバケツを頭からかぶって雨に打たれている場面。©︎Hong Kong LEI

開場後、最初に通されるのは、真っ白い垂れ幕の間を通り抜けた先にある展示会場。真正面には2017年公開のドキュメンタリーの「CODA」の一部が写し出されている。北極圏や森や自宅などで自然の中に湧き起こる「音」への探求と思索の旅を描いた作品。北極で水面に張った氷に穴を開け、その中にマイクを落とす彼。いたずらっ子のように「僕は音を釣ってるんだ」と楽しそうにしている様子が印象的だ。

©︎Hong Kong LEI
©︎Hong Kong LEI

その両脇には生前の彼の若い頃の写真が大きく掲げられていた。

©︎Hong Kong LEI

床にディスプレイされているのはこの企画のために坂本氏自ら2023年に英語で書いたもの。

There is, in reality, a virtual me.
This virtual me will not age, and will continue to play the piano for years, decades, centuries, Will there be humans then?
Will the squids that will conquer the earth after humanity listen to me?
What will pianos be to them?
What about music?
Will there be empathy there?
Empathy that spans
hundreds of thousands of years.
Ah, but the batteries won’t last that long.

「現実に、仮想のわたしが存在します。
この仮想のわたしは年を取ることはなく、ピアノを何年も、何十年も、何世紀も演奏し続けます。
その時、人間はいるのでしょうか?
人類の後に地球を征服するイカたちは、わたしの音楽を聴くのでしょうか?
ピアノは彼らにとって何になるのでしょうか?
音楽はどうでしょう?
彼らの中に共感はあるのでしょうか?
何十万年もの間にわたる共感。
ああ、でもバッテリーはそんなに持たないでしょう。」

©︎Hong Kong LEI

映像が一巡したら次の部屋に促される。部屋を囲んで丸く座席が設置されており、スタッフが朱色の箱からヘッドセットを取り出して一人一人に装着してくれる。全てが黙々と行われて、まるで何かの儀式のようでもある。

(ここで、メガネを日常的につけている人は、数に限りはあるが、それ用のヘッドセットがあるらしい。予約するときに必要かどうか記入する欄があるので、当日は早めに行って専用ラインで待つと良いだろう)

©︎Hong Kong LEI

今回のMRの装着ヘッドセットは、従来のものからまた一歩前進した感があった。少し前までは全てがメガネ部分に装備されていて、とても重たかった。しかし今回はメガネが軽くなり、その分バッテリーやセンサー部品を首から下げる形になって、45分のパフォーマンスを通して比較的快適に装着できた。

朱色の箱が去った後は、「完璧なものを目指してはいるが、完璧でない部分もあることを理解いただきたい」という趣旨のアナウンスが流れる。そして部屋が暗くなったと思ったら、周りにいた観客が暗闇に溶け込み、目の前に彼が忽然と現れた。

MRのメガネを通して見える目の前の坂本氏とグランドピアノ。©︎TinDrum Ryuichi Sakamoto by Luigi & Iango

静まり返った空間で、彼は演奏を始める。突然足元からもくもくと白い煙が現れ、坂本氏に向かって進んでいく。まるで天界にいるかのようで、これをきっかけにMRの世界に引き摺り込まれた。

しばらくすると、観客が一人、また一人と立ち上がって坂本氏の方へ歩いていく気配がした。

©︎Hong Kong LEI

白い四角いスペースの真ん中に坂本氏とグランドピアノが現れている。観客はこの周りを自由に歩き回ることができる。

実はこの体験が素晴らしく、格別で、神聖なものだった。最大の理由は、他の観客がほとんど見えないということ。写真のように離れた場所に座って見ていたとしても、目の前に立ちはだかる人々は全く視界に入らない。まるで透明人間なのだ。どの立ち位置にいてもあくまでも、今、この瞬間は坂本氏とわたしだけの世界なのである。それゆえに場所を変えるために動くと人にぶつかりそうになったりすることもあるが、それをわかって皆んなそろそろと移動する。

楽曲が変わるごとに、床や、バックグラウンドが変わり、異空間のようになったり、蛍のようなものが舞ったり、木や根っこが張り巡らされたりと、現実世界から離れた宇宙の真ん中に浮かんでるような感覚さえも覚える。

不自然と思えるMR独特の坂本氏の肌の質感など、他に圧倒されて気にならないぐらいだった。横道にそれるが、今後この技術がさらに発展したら、本物と遜色ないオペラ歌手のアンドレア・ボチェッリが、片田舎で歌ってくれる日が来るのかもしれない。もっと技術が発達したら、地球の裏側で公演されたバレエの演目も目の前であたかも本物のように鑑賞できるかもしれない。可能性を考えるとワクワクする。

©︎Hong Kong LEI この真ん中に坂本氏がいる。(ちなみに動画でなければ撮影は許可されている)

公演中、結局わたしは最初から最後まで坂本氏のそばで終始演奏を聴いた。洋服が風に靡く様子や、彼のペダルの動き、背中が揺れる様子、そして彼が音に集中する表情も間近で見た。周りにたくさんの人がいようとも、坂本氏とわたしだけの世界。だからこそ、集中してこの世界に入り込み、美しい音楽を彼の呼吸や体の揺れと共に体験できたことで、彼の音楽へいつもより近づいた気がした。

コンサート後半の「戦場のクリスマス」から「アクア」、そして「ラストエンペラー」への展開は美しすぎた。感情の渦に巻き込まれた観客の鼻をすする音が四方から聞こえてきた。彼の真摯な演奏風景は神がかっていて、音楽に一生を捧げた生き様を感じずにはいられなかった。

彼はコンサートを通して2回発言をする。2回目は「次が最後の曲です。この曲はベルトルッチ監督が亡くなった知らせを受けた10分後に書いたものです」と言って静かに演奏を始め、ひっそりと終わった。

音楽を愛し、生きた坂本龍一氏。天才音楽家のグランドピアノだけのシンプルで静かな演奏は、彼の人間としての本質をも見せてくれるパワフルなパフォーマンスだった。観客を気にかけることも、愛想を振る舞うこともなく、淡々と音楽に向き合い心から奏でる姿に、「あなたはあなたを生きてますか?」と語りかけられたような気がした。

注釈:ベルナルド・ベルトルッチ監督は坂本氏が映画「ラストエンペラー」で米アカデミー賞作曲賞を受賞した時の映画監督。
Ryuichi Sakamoto by Luigi & Iango

KAGAMI by Ryuichi Sakamoto & Tin Drum

3月10日 〜13日  20:00 & 21:30
3月14日  12:15, 15:30, 17:00, 20:00 & 21:30
3月15日  12:15, 15:30 & 17:00

プログラム全体は約1時間で、展示会と45分の体験が含まれます。

会場: The Box, Freespace, WestK
料金: HK$520
フルタイム地元学生: HK$260(3月3日〜5日 、10日〜12日の公演のみ)
チケット購入はこちら
(チケットは完売のところも出ている模様です)

Hong Kong LEI告知記事はこちら
香港アートフェスティバルによる詳細はこちら

 

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