2026/09/23
ソイ・チェン(鄭保瑞)監督 ©️Linda Hung-Hom
ジャッキー・チェン(成龍)やキョンシー(殭屍)、そしてジョニー・トー(杜琪峯)にウォン・カーワイ(王家衛)……。かつて香港映画は大ヒットを連発し、世界を熱狂させてきました。しかし時代の変化とともに、公開規模は縮小し、「香港映画の黄金期は去った」と囁かれるまで落ち込みました。日本も同様。1980、90年代のブームが去って以降、日本で香港映画が大きな注目を集める機会は途絶え、どこか遠い存在となっていました。
その長い冬に幕を下ろし、再び大きなムーブメントを起こしたのが、『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』(2024年製作)です。迫真のアクションと圧倒的な熱量で観客を魅了し、異例のロングラン上映と、近年の香港映画としては記録的な5億円突破※という興行収入を記録。映画の舞台となった九龍城エリアを訪れる聖地巡礼ツアーが日本のメディアでも大きく取り上げられ、日本の映画市場全体で「香港映画ブーム」を再燃させる起爆剤となったとも言われています。この熱狂を巻き起こした張本人こそ、現代香港映画界のトップランナー、ソイ・チェン監督なのです。
この偉業を成し遂げたソイ・チェン監督は、一体どんな人物なのか? そして、どのような映画人生を経てこの大作にたどり着いたのか? Hong Kong LEIが、彼の原点と映画作りにかける思いを伺いました。
※『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』公式Xアカウント参照
ソイ・チェン(鄭保瑞)監督プロフィール
マカオ生まれ、香港育ち。容赦ないバイオレンスとダークな世界観を反映させた作品群で、巨匠ジョニー・トーの系譜を最も色濃く受け継ぐ映画監督と称される一方で、大バジェットの中港合作映画『ドラゴン×マッハ!』(原題:殺破狼2)に代表される娯楽作品も手がける。近年の作品に第42回香港電影金像奨の最優秀監督賞を受賞した『マッド・フェイト 狂運』、第97回米アカデミー賞の国際長編映画賞の香港代表作品に選出された『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』がある。同作は第43回香港電影金像奨の最優秀作品賞および最優秀監督賞を受賞。
インタビューが行われたのは『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』でみられた乱雑な風景とは対極の、高い天井と白い壁、がすっきりした印象の、監督の個人オフィス。膨大な数の本が並んだ書棚の前に置かれた大きなデスクに座る監督は、事前に「タバコを吸ってもいいですか?」と許可を得る紳士で、箱から出したのはメンソール。喫煙者だと伺っていたので、日本で言うならホープのような、無骨でちょっと渋いタバコを吸うタイプの方ではないかな?というこちらの想像は裏切られました。「メンソールがお好きなんですね」という穏やかな世間話からインタビューは始りました。
映画の道に進むまで
-僕はマカオ生まれです。11歳、小学校5年生の時に香港に引っ越してきました。子ども……僕と兄の学業とその後のキャリアのためです。当時、マカオでは職業の選択肢は公務員か、カジノ勤めぐらいしかありませんでしたから、父母は香港の方が、僕らの将来の道が開けると考えたようです。
ただ、香港に来てからの環境はかなり複雑で、僕や家族の香港での経験も、世の中は単純に1+1=2と言えるものではありませんでした。僕の世の中への見方は悲観的になったのは香港に来てからです。努力したからといって成功が得られるとは限らない。そんな現実の世界がだんだんと見えてきたんです。香港に来てからの日々の経験が、その後のものの見方に影響していると思います。今でも世の中は絶望だらけだと思いますけど、子どもができてからは、世の中は絶望だけではない、絶望の中にも希望が見つかるんだなと思うようになりましたが。
©️Linda Hung-Hom
監督への道
-キャリアに関して言えば、将来の夢とか、なりたい職業というのはありませんでした。ただ、サラリーマン的な仕事は絶対したくない、絵を描くのが好きだから芸術と関係のある仕事ができたらいいなと、ぼんやり考えていた程度です。映画を見るのは好きでしたが自分には無理だと思っていました。でも、学業を終えるタイミングで、あるプロダクションのアシスタントの求人を新聞で見つけて、一か八かで応募したら通っちゃったんです。で、その後二度と出られなくなってしまいました(笑)。
最初はプロダクション・アシスタントという肩書をもらって、ロケ弁の手配をしたり、床を掃除したり(笑)なんでもやりました。しばらくすると、自分に合う業務がみえてきました。そして、スクリプター(場記)という撮影データの記録や管理をする役になり、それから5、6年かけてだんだんと進み助監督になりました。
初めて作品を撮ったのは、27歳の時。数万香港ドルと、(当時のレート1HK$を14円として最大約126万円)予算の少ない映画でした。28、9歳の頃には映画監督として本格的な映画を撮るようになって行きました。最初の作品は、DV(デジタル・ビデオ)による習作みたいなものですね。HK$100,000(約140万円)以内のとても少ない予算で、90分間の作品を撮れと言われて、自分を試すつもりで3本ほど撮りました。
最初はスタイルやジャンルは固まっておらず、熱血ものあり、スリラーものありと、色々な方向性を試しました。やっているうちにスリラー的なものが自分に向いているとわかってきました。時事ニュースをみて、どんなニュースに自分が特に心を惹かれるかを考えながら、だんだん自分の方向を見つけていったんです。それが積み重なって、今のスタイルになって来たんだと思います。昔の新聞には、ほんの小さなニュースとか、変なニュースとかが何でも載ってました。今のネット上のニュースは、そうした興味深いものが見られないんですよ。今も留意はしていますが。
©️Linda Hung-Hom
近年の作品について
-『マッド・フェイト 狂運』(原題:命案)のストーリーは、ジョニー・トーの脚本を多く手がけるヤウ・ナイホイ(游乃海)が10年間温めていたものなんです。元々はヤウが自分で撮ろうとしていたんですけど、進めていくうちに彼はどうも自分は適任じゃないと思ったらしくて、ジョニー・トー経由で僕に話がきました。僕はヤウと一緒に仕事がしたかったし、ちょうど当時はコロナ禍の頃で、抱えていたプロジェクトが延期になっていたので、「じゃあ撮りましょう」ということになりました。
『マッド・フェイト 狂運』の香港での公式トレイラー。
-「絶望の中にも希望が見つかるんだ」と先に話しましたが、今もやっぱり世の中は絶望だらけだと思っています。ただその中でも「願い」はずっと持っていなくてはならないと思います。世の中に絶望しても、運命に無力さを感じても、それはコントロールできない。でも『マッド・フェイト 狂運』を撮る時に信じていたのは、そんな運命の中で自分がどう選ぶか。その自分の選択が希望の源になるかもしれないということです。もっと言えば、僕らがやる事はたぶん運命や天から与えられるもので、天はそうは悪くはしないものなんだよ、と。
『マッド・フェイト 狂運』は『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』の大ヒット後、日本でも公開された。
『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』
-『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』(以下、『トワウォ』)は、僕が探してきた話ではないんですよね。映画のプロダクションが版権を買って、3、4年かけて計画を練って、それから僕のところに撮ってほしいとオファーが来たという経緯です。最初にオファーが来た時には断りました。それからしばらくしてまた話が来たので、僕は「九龍城砦を理解するために少し時間をくれますか?」とお願いしました。
承諾するまでに時間が必要だったのは、このプロジェクトを成し遂げる自信があるかをチームと討議する必要があったからです。九龍城砦はもう撤去されていますが、香港人みんなが知っていたものなので、再現するなら、誰もが納得のいくものでなければいけないと。やり遂げる自信があるのか、大きな決心が必要だったんです。自分を含めて、チームの美術監督や脚本家と手分けをして1、2カ月の間、インタビューやら資料収集やら、リサーチを重ねました。それらを経て「挑戦できる」と納得してから、正式にお受けして着手しました。
この作品は大バジェットで、予算のスケールが違います。会社にも絶対に利益をもたらす必要があるので、(自分が得意とする)極端なスタイルは合わないと思いました。もう少し商業的に、つまり観客に近づくこと、そして原作漫画の味わいを出しつつもその度合いにも注意して、あまり漫画チックにならないようにするなど、調節が必要でした。そこに結構時間がかかりましたね。ただ、たとえコマーシャルな作品であっても、どこか自分が心を動かされるもの、自分の心に響くものをどこかに置こうと自分に言い聞かせています。自分のヴィジョンは絶対保っておかなければと思います。
そして「トワウォ」続編について
-この後、続編が2作予定されています。自分では作品の見どころや見せ場など、わざわざあらかじめ決めないんです。今回、設定は1987年なんですが、その時代の香港は、日本文化の影響を非常に受けていました。僕自身も子どものころ、流行歌は日本のもので、中森明菜、近藤真彦、安全地帯にチェッカーズなど、そういうのにとても慣れ親しんでいましたね。で、もしかしたら……。あ、これ以上は言えません(笑)。
次作『九龍城寨之終章』は今年5月、街中で撮影が開始され大きな話題となった。
-続編では、城砦を離れた、尖沙咀での話も登場します。尖沙咀でのストーリーはまた別の世界の話になり、城砦とは全く別の感じになります。
実は第1作がこんなに成功するとは思っていなかったんです。成功の重荷を背負っていてはいけないと自分に言い聞かせていますが、やっぱりある程度はあります。重荷を背負っての創作のプロセスの中での葛藤は、その荷物を背負いつつ、どうやって歩いて行くかですね。手放してはいけない重荷もあるので。対外的には重荷はないないと言いつつも、やっぱり永遠にある訳で、これをやるとどう見られるかとか、第1作での成功は何だったのかとはいつも考えてしまいます。その重荷をしっかり見つめながら、歩いていこうと思います。それが僕にとっての最大の挑戦ですかね。
マカオから香港への移住を機に芽生えた悲観的な人生観、そして子どもの誕生など、人生の大きな節目の経験を糧に、監督の数々の名作を生み出し、さらに『トワウォ』というメガヒットに結実させたソイ・チェン監督。前作の大ヒットを経てもなお、それを「重荷」と表現し、それと誠実に対峙する姿勢、そして一つひとつの課題に地道に向き合い続ける姿勢に、監督の深い思慮を感じました。そんな彼が語った「また別の世界の話」が含まれるという新作、いったいどんな世界をみせてくれるのでしょうか。新作の公開は来年の夏というのが風の噂。今から待ち遠しいですね!
(人名のカタカナ表記は、基本、既存の作品で使用されている表記に従いました。表記に揺れがある場合や既存の表記が確認できない場合は、便宜上仮のフリガナを付しています。また、本文では敬称を省略しています。)
取材・文:紅磡リンダ(編集部)
通訳・翻訳:大澤真木子
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