2023/03/20

Tasting Table Japan Premium

「Hong Kong LEI – Cover Story」は、香港でがんばる人をご紹介するシリーズ企画です。当記事は、健康と食の安全をお届けする Tasting Table Japan Premium より当企画への賛同と協賛をいただき制作しています。



「14歳の頃から、日本語を教えるのが夢でした」

 


(目次)

〈新しい世界を知る喜びが原動力〉

〈フルタイムで働きながら、乳児を抱えて修士号〉

〈日本想いの学生たちに、たくさんのチャンスを提供したい〉

〈飯田由美さんに3つの質問〉


 

〈新しい世界を知る喜びが原動力〉

香港を代表する大学の1つ、香港中文大学の生涯学習セクションに位置する香港中文大学専業進修学院。この学院の応用日本語上級ディプロマコースで13年間、日本語講師をしているのが飯田由美さんだ。2015年からはアカデミックコーディネーターとしてコースの統括も務めている。

このコースでは、五十音から始まり、大学3年に編入可能なレベルまで習得する。期間はわずか2年。「学生も教員も相当大変です」と言いながらも、飯田さんの表情が「それもまた楽しいんです」と語る。

香港中文大学専業進修学院の応用日本語上級ディプロマコースで教鞭を取る飯田さん。

日本語講師になることが14歳からの夢だったという飯田さん。子ども時代を自然豊かな能登で過ごした。当時は娯楽が少なかったこともあり、「なぜ色があるの?」「なぜ子どもは親に似るの?」と世界の不思議に興味津々だった飯田さんにとって、学校が一番ワクワクする場所だった。「新しいことを学ぶと世界がよく分かり、広がる感じがして楽しかった」と振り返る。

中学生になり漢文と英語を習った時の衝撃は忘れられないという。「今まで分からなかったものが読めるようになるってすごいこと。なんて面白いんだろうと思いました」。外国語を学んだことで、日本と違う文化や社会、人々の考え方などを知り、新しい世界が広がる喜びがあった。この体験から海外の人々と接する仕事がしたいと思い、日本語講師と客室乗務員の2つを夢に決めた。

それからは夢へ一直線。日本語講師に必要な日本語教育学が学べる筑波大学へ進路を定め、高校時代は3年間テレビも見ずに猛勉強。大学では、日本語教育学、言語学、民俗学など幅広く学んだ。

 

〈フルタイムで働きながら、乳児を抱えて修士号〉

就職の段になり、満を持して日本語講師に……と思いきや、飯田さんは客室乗務員になる方を選んだ。「日本語講師はいつでもできると思い、まずは航空会社を受験しました」。客室乗務員として約3年働いた後、実際に海外で生活してみたいと考え、旅行をして好きになったオーストラリアで1年半暮らすことにした。語学を学んだり、カレッジに通ったりしたという。その時に出会った香港人男性と結婚し、香港移住となった。

香港に来た当初は多国籍企業に勤めていたが、ある日同僚から「日本語を教えてほしい」と言われ、気づいた。「そうだ、わたしは日本語講師になりたかったんだ」。ランチタイムや終業後に日本語を教えていたが、もっとじっくり教えたいと思い、副業として語学学校で教えるようになった。そして、「日本語講師の募集があるよ」と同じことを4人から言われ、導かれるように現在の職場にたどり着いた。

本格的に日本語を教えるうちに、人は第二言語をどうしたら効率的に習得できるかという事を考えるようになった飯田さん。研究意欲が湧き、オンライン大学院へ入学。ちょうどその頃、妊娠・出産も重なり、仕事の後は乳児のお世話に加え、授業というめまぐるしい日々になった。徹夜でレポートを作成し、そのまま出勤という日もあり、さすがの飯田さんも「こういう生活はおすすめしません」と笑う。その努力もあって、飯田さんが研究した、効果的なフィードバック方法(誤用訂正)は学院の指導法に活きている。

 

〈日本想いの学生たちに、たくさんのチャンスを提供したい〉

日本語教育を極めるべく邁進してきた今、「日本語講師は天職」と言える。

「自分の国の文化に興味を持ってくれて、日本語が好きだと言ってくれたらやっぱり嬉しいじゃないですか。一生懸命学んでくれる学生さんの気持ちに応えたい、たくさんのチャンスを提供したい」という気持ちで日々取り組んでいる。

そんな飯田さんだが、昔は日本文化にあまり興味がなかったというから驚きだ。「伝統文化が根付いた地域で育ったので、着物や浴衣などを当たり前にある古いものと思っていました」。学生から「着物が綺麗」とか「茶道をやってみたい」と言われ、「え、そうなの!?」とカルチャーショック状態。学生がこんなに日本文化に興味を持っているのだから、自分も学ぼうと考え始めた。そこで、「日本の歴史には言葉ではなく踊り、所作で伝える場面がよく出て来る」と思い浮かび、日本舞踊を始めることに。踊りや曲の後ろにある歴史や物語が面白く、その世界に魅了された。「香港で日本語講師になったおかげで日本の良さに気づかされ、伝統文化を誇りに思えるようになりました」。

香港中文大学専業進修学院のロゴの前にて。

飯田さんは現在、アカデミックコーディネーターとして、カリキュラム作成、スタディツアー企画、パートナー企業との連携、日本の大学との提携、協定なども行っている。学生と何気なくする会話の中から「こういう活動をしたら喜ぶかな」、「日本人とこんな交流がしたいのかな」とアイデアを形にしていく。

これまで、文化体験、インターン、留学など、日本との交流をしたたくさんの学生が、日本の大学へ編入し、そのまま日本で働いたり、香港の大学で専門的に日本研究をしたり、それぞれの夢に向かって旅立っていく姿を見てきた。

飯田さんが外国語と出会ったことで人生の幅が広がったように、学生にも日本語を学ぶことで夢への道を開いてほしいと考えている。

「わたしの仕事は日本語や日本文化を教えることで学生さんの視野、世界を広げて人生の選択肢を増やすこと。夢達成のお手伝いだと思っています」


 

〈飯田由美さんに3つの質問〉

Q1 日本語は受け身や謙譲語が難しいと言われますが、どのように教えていますか?

学生さんには「日本語は難しい」と諦めてほしくないんです。広東語中国語に日本語のような授受表現はなくても、何かをしてもらったら嬉しいな、ありがとうという気持ちは誰でも持ちますよね。言語としての現れ方は違うけど、その下にある気持ちは共感できると気づいてほしいと思っています。

 

Q2 趣味は何ですか?

日本舞踊です。もう10年以上、お稽古に通っています。踊りや所作を学ぶのが楽しいです。若柳智香先生が教えてくださる踊りや曲の背景、物語も知ることができて面白いんです。「日本舞踊若柳流香の会」にて

 

Q3 広東語はどうやって習得しましたか?

意識的に話すようにしました。来港当初、買い物は必ず街市で。野菜の広東語名と発音を調べてから行って実践会話です。街市のおばちゃんから「はぁ?」と聞き返されても、ひるまないことが重要です(笑)。

 

 

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