2023/11/20

「Hong Kong LEI – Cover Story」は、香港でがんばる人をご紹介するシリーズ企画です。当記事は、健康と食の安全をお届けする Tasting Table Japan Premium より当企画への賛同と協賛をいただき制作しています。


香港から、情熱の和太鼓を!

Web: https://www.gekkotaiko.com
IG: 激鼓 Gekko : @gekkohk
Facebook: 激鼓樂社 Gekko Taiko Centre
YouTube: 激鼓 Gekko – 響天動地

 

聞き手:小林杏
編集:深川美保

 


目次

<和太鼓との出会いは「ご縁」>

<日本での厳しい稽古を乗り越えて>

<教育者としてのもう一つの情熱>

<ヒューバートさんに3つの質問>


<和太鼓との出会いは「ご縁」>

和太鼓奏者のヒューバートさんが道場に入って来ると、場がパッと明るくなる。全てのことが楽しくてしょうがない、とでも言うような彼の表情は周囲の人々をハッピーにする魅力がある。

父親は無類のドラム好き。その父親の影響で幼い頃から様々な種類のドラムに囲まれて過ごした。
「とにかく父親にくっついてドラムを叩いていた。リズミカルなものが大好き。自分は『リズム人間』だと思う。リズムを奏でられるものはなんでも叩きたくなる!」そんなふうに育った。

幼い頃は、水泳コーチだった父が務めるクラブにいつも付いて行き、そこに通う同年代の子ども達と一緒に泳ぎ、ひいては一緒にドラムを叩くようになった。10代の頃には、その仲間達20人ほどで演奏活動を開始。「ドラムが好きで好きでたまらない若者チーム。エネルギッシュな演奏スタイルで、僕たちは香港でちょっと有名になったんだ」。

ヒューバートさん(左)と、父(上段、左から3人目)。和太鼓集団『激鼓』は幼い頃から一緒に育った家族のようなチームだ。

そんなおり、和太鼓と出会った。「和太鼓との出会いは『ご縁』と言う言葉に尽きるかな」と語るヒューバートさん。
当時、彼らに「情熱的で力強い演奏に感銘を受けた」と言ってコンタクトをしてきた人がいる。ロジャーさんだ。香港人ながら「日本語を話したら、まるで日本人」という彼は、日本在住時、アマチュアの和太鼓奏者だった。その彼が「僕らに和太鼓の基礎や知識をもたらしてくれた」のだそうだ。

こうして和太鼓への世界が少しずつ広がっていった2008年、ヒューバートさんが22歳の時。チームはロジャーさんを通してプロの和太鼓奏者、川田貞一氏の指導を受けられることとなり、これを機に「これからは和太鼓をやっていこう!」ということで一致した。

それまでのドラムスタイルから和太鼓へと変えることに迷いはなかったのだろうか。「ロジャーに会うまで、和太鼓というのは自分たちの手の届かない所にあるものだと信じ切っていた。和太鼓界で最も有名な『鼓童』の前身『鬼太鼓座』のVCDを見て、その壮麗さに感銘を受けたけど、直接アクセスする術のない世界だとね。それが目の前にプロから体系的に学べる機会が飛び込んできたんだ。このチャンスを掴まなきゃ!って思ったよ」。

和太鼓パフォーマンス中のヒューバートさん。

<日本での厳しい稽古を乗り越えて>

川田氏による稽古は、最初にとにかく「基礎」を教え込まれた。

「情熱だけでドラムを叩いていた僕たちは『基礎』がいかに大切かと言うことをその時知った。何度も何度も同じリズムを繰り返す稽古。それは完璧な音、完璧な動きを作り出すためには欠かせない訓練だと学んだんだ」。

全ての芸事に言えることだが、心を動かす芸というのは強固な礎の上にしか成り立たない。ゆえに師はみっちりと和太鼓の基礎をチームに教え込んだのだろう。

そして和太鼓を始めてから7年目の2015年。その夏、三河湾に浮かぶ佐久島で行われた稽古は一段と厳しいものだった。冷房のない体育館は40度近く。気合を入れるための掛け声と共に基礎打ちをしていると、だらだら流れていた汗がピタリと止まった。30分後、師が止まれの合図をした時、全員が床に倒れ込んだ。「僕たちは『力を効率的に使わなければいけない』という先生の言葉を、その時、身をもって理解したんだ。限界までいってね。当時はとにかく力に任せて、ドラムを叩いていた。でもそのやり方では持たないんだって気づかされた」。

厳しい稽古をつけてくれた師には、感謝の気持ちしかない。そしてまたその厳しい稽古を乗り越えたことはチームにとって大きな自信に繋がったという。

「この時から、僕たちは自分たちのことを堂々と和太鼓奏者だと言えるようになったんだ」とヒューバートさんは晴れやかに語った。

川田貞一氏による日本での稽古。限られた滞在時間を目一杯使って、朝から晩までみっちり稽古を積んだ。みんな真剣そのもの。手前に立つ人物が川田貞一氏。

幼馴染の集いとして始まったチームは、こうして和太鼓集団『激鼓』へと変貌を遂げた。ただ変わらないものもある。それは彼らの演奏スタイルが昔も今も情熱的だということ。『激鼓』の『激』は情熱という意味が込められているのだ。

現在『激鼓』は憧れだった『鼓童』の元メンバー陽介氏を師匠として迎えており、ヒューバートさんは、『激鼓』奏者としてはもちろん、クリエイティブダイレクターとしても活躍。コンサートや、企業また芸能人達とのコラボレーション等多岐に渡る活動では、常に観客層を念頭におき、時には伝統的な演目に捉われず、ロックのビートを混ぜる等『激鼓』ならではの斬新なパフォーマンスを行うこともあるそうだ。

師匠の陽介氏と。ヒューバートさんの妻がデザインした『激鼓』のコスチュームは炎、そして情熱を表す赤とオレンジ色がメイン。

<教育者としてのもう一つの情熱>

ヒューバートさんにはまた、香港に存在する数少ない和太鼓教室、「激鼓楽社」のヘッドインストラクターとしての一面もある。彼は香港で心理学学士、アメリカで児童発達学修士を修めているが、これは「当時、ドラムを教える時に役に立つと思って専攻した」のだそうだ。大学進学時には既に、教えることを意識していたということだ。

「香港の生活はペースが早くて、大人も子どもストレスが溜まりやすい。でも体を大きく使いながら、日常生活で感じたネガティブなことを全て忘れて、夢中で太鼓を打つことはストレス発散になるんだ」と和太鼓がもたらす恩恵について語る彼。

子ども達に関しては、さらに踏み込んで、稽古を通じてどのように彼らの発達に寄与できるのかを心理カウンセラーである友人と話し合うこともあるそうだ。

「稽古の一環であるリズムゲームや練習をするためには、教室の仲間と協力したり、助けあうことが必要でしょう。それは、子ども達の社会性、他人を敬う気持ちを育てる機会でもあるんだ」という。

現在柴灣、觀塘の2教室でレッスンが行われている。大人と子ども合わせて200人近くの生徒達が通う。楽しくドンドンドン!

彼にどんな時にやりがいを感じるかと聞くと「太鼓そのものが上達していく姿を見るのはもちろん嬉しいよ。でもそれだけじゃないんだ。例えば、稽古を重ねるうちに、コミュニケーションが苦手で、全く口をきかなかった子が、『今日、朝ごはんにこれ食べたんだ』なんて話しかけてくれるようになった時とか、感情の抑制が難しかった子が、落ち着いて仲間と稽古に取り組むようになった姿を見た時、あぁ、やっててよかった、僕のやり方は間違ってなかった、ってすごく心が満たされる」と言って笑った。

ヒューバートさんの和太鼓への情熱、そしてまた子ども達の成長に対する情熱に支えられ、ここ香港の地で今日も『ドンドンドーン!』と力強い和太鼓の音とみんなの笑い声が聞こえる。


<ヒューバートさんに3つの質問>

―和太鼓以外で聞く音楽は?
和楽器バンド。日本のバンドなんだけど、尺八とか三味線とか、和楽器を使ったロックバンド。あ…和太鼓も入ってた。笑 あとはメタルバンドの『ドリームシアター』とか『ハロウィン』が好き。

― 好きな日本食べスト3を教えてください。
刺身、ラーメン、そして日本のコンビニスイーツ!クリームがいっぱい入っているやつ。日本のクリームは美味しいよね!

― 休日の過ごし方は?
スポーツが好きなのでマウンテンバイク、サーフィン、スノボーとか楽しんでいたけど、昨年子供が産まれてからは、休日は家族の日になりました。公園で滑り台の付き添いとかしています。笑

 

コメントをありがとうございます。コメントは承認審査後に閲覧可能になります。少々お待ちください

意見を投稿する

Hong Kong LEI (ホンコン・レイ) は、香港の生活をもっと楽しくする女性や家族向けライフスタイルマガジンです。

Translate »