2023/01/06

みなさん、こんにちは!

今回の「Old Hong Kong in Colour (彩られ蘇る香港今昔)」は、1894年に香港で起こったペストのパンデミックに関する古写真です。

LEIコラム「偉人たちが見た香港」第6回では、香港のパンデミックの原因がペスト菌であることを突き止め、感染拡大を抑止した細菌学者の北里柴三郎について書かれています。まずは、このコラム抜粋文で当時の社会状況を見てみましょう。

〈コラム本文抜粋〉
1894年に雲南省で始まった歴史上3回目の世界的なペストパンデミックは、広州を経由して香港に上陸、貧民層の間で急速に広がった。当時この感染症は、黒死病と呼ばれた。記録によると、香港の感染者数は2,679人、うち死亡者数は2,552人で、死亡率は95%に達した。
香港政府は5月11日に、エピデミックポート(疫埠)の宣言をし、中国人の出国を禁止、流行防止策を公布した。しかし、状況は芳しくなく、すぐに日本政府に対策と支援を求めた。香港がエピデミックポートになれば、頻繁に貿易を行ってきた横浜港、神戸港、長崎港にも影響が及ぶ可能性があるとみて、日本政府は緊急支援要請を出し、北里柴三郎や東京帝国大学医学部教授の青山胤通ら6名の調査団を設立。彼らは、6月5日に横浜港を出航し、約1週間かけて6月12日に香港に到着した。

 

北里は、香港到着2日後にペスト菌を発見し、約1ヶ月ほどでパンデミックは終息に向かいました。北里柴三郎たちの活動について、詳しくは上記コラムをお読みくださいね。

 


それでは、実際の古写真を見てみましょう。

 

1枚目は、パンデミックが起こった上環の大平山街で1894年、ペスト患者の関連物を焼却処分している写真です。この一帯、約380軒の家屋が取り壊されたそうです。Old HK in colourが、写真を動画に編集して公開していますので、画像をクリックしてみてください。

 

2枚目は、パンデミックが落ち着いた翌年、1895年の中環街市の様子です。

 

3枚目は、2枚目と同じ1895年の中環 閣麟街の様子です。

 

 

 

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